宝蔵院分流陰派槍術
天心流兵法(江戸伝天心流)には外物として宝蔵院分流(支流)陰派槍術が併伝されており、素槍術や十文字術、薙刀術が伝承されている。
宝蔵院分流陰派槍術
https://www.youtube.com/watch?v=YJu_s-2sMb4
https://www.youtube.com/watch?v=aP9sxK9rxHk
https://twitter.com/tenshinryu/status/1173972622431813633
https://twitter.com/tenshinryu/status/638378033653542912
https://twitter.com/tenshinryu/status/688098960150429696
https://www.youtube.com/watch?v=PyCGMzyRSBg
特に、柄と槍頭の接合部というのは通常かなり頑丈に作られているものなので、よっぽど粗悪な槍で無い限り常人の力で折ることは不可能である。
ただし、接合部が劣化していると、町井先生が体験されたように太刀打を握って持ち上げる程度の力でも折れることがあるだろう。
薙刀や長巻も同様に、足軽用のものは低コストで大量生産するために粗悪で耐久性が無く、ちょっとした衝撃ですぐに折れてしまうものが多いが、武士が使っていたものは職人が一つ一つ丁寧に製作しているため、大きく振り回して敵に叩き付けたところでそう簡単に折れはしない。
これも、現代まで伝承が続いている薙刀術や長巻術の各流派を見れば一目瞭然である。
上述のような正しい歴史認識と現実を踏まえ、町井先生は自らの誤りに気づき、その主張を撤回するべきだろう。
とはいえ、町井先生が粗悪で耐久性の無い長柄武器の扱いを想定して修業すること自体は、修心流の槍術としてその個性を認めるべきである。
何故なら、実戦では必ずしも武士用の頑丈な長柄武器を調達出来るとは限らず、やむを得ず足軽用の粗悪で耐久性の無い長柄武器を使って戦わざるを得ない状況も想定出来るからである。
しかし、粗悪で耐久性の無い長柄武器の扱いを想定することが修心流の思想であったとしても、その思想は他流派では通用しない。
これは一人前の武術家であれば誰もが知っている常識であり、武術界隈に身を置く限りは必ず守らなければならない礼節でもある。
自流を極めることは大変結構なことだが、どうか町井先生には一人前の武術家としての常識と礼節を守っていただきたい。
宝蔵院分流陰派槍術
https://www.youtube.com/watch?v=YJu_s-2sMb4
https://www.youtube.com/watch?v=aP9sxK9rxHk
https://twitter.com/tenshinryu/status/1173972622431813633
https://twitter.com/tenshinryu/status/638378033653542912
https://twitter.com/tenshinryu/status/688098960150429696
https://www.youtube.com/watch?v=PyCGMzyRSBg
天心流の伝承によると、宝蔵院分流陰派槍術は柳生但馬守宗厳(石舟斎)が上泉伊勢守や覚禅坊胤栄との交流によって習得し、宗矩・時沢弥兵衛へ伝わった技法であるとされる。
宝蔵院分流陰派槍術 - 天心流 第十世師家ブログ
http://tenshinryuhyoho.blog.fc2.com/blog-entry-449.html
宝蔵院分流陰派槍術 - 天心流 第十世師家ブログ
http://tenshinryuhyoho.blog.fc2.com/blog-entry-449.html
第10世師家の鍬海先生は宝蔵院分流陰派槍術について、「時沢弥兵衛が柳生宗矩から学んだ槍術を宝蔵院流に仮託して名付けたか、あるいはさらに後世の仮託の可能性もある」と推察されており、確かに流派名には「分流」や「支流」という言葉が入っていることから、「宝蔵院流そのものではなく、あくまで宝蔵院流から派生した『陰派』槍術である」というニュアンスが読み取れる。
鍬海先生の推察
http://tenshinryuhyoho.blog.fc2.com/blog-entry-456.html
実際、宝蔵院分流陰派槍術はそれ自体が1つの流派として伝承されている訳ではなく、あくまで「天心流の外物」として内伝されており、宝蔵院流そのものとは明確に区別されている。
とはいえ、「宝蔵院分流」という修飾語が付いている以上、天心流の外物としての陰派槍術が技法的に宝蔵院流と全く無関係なはずは無い。
では、宝蔵院分流陰派槍術と宝蔵院流の間には、どれほど技法の共通点があるのか。
天心流の外物としての宝蔵院分流陰派槍術では、天心流の抜刀術や剣術の動きを応用して基礎的な槍法を修業する。
すなわち、突きや斬り、打ち、払い、受けなどの基礎的な槍法を中心に、時にそれらを組み合わせたり、抜刀術や剣術の形の動きを応用するなど、柔軟性に富んだ修業法を実践する。
特に、宝蔵院流の形に含まれている構えや突き、柄や石突を用いた打ち、巻き返し、斬り落とし、叩き落とし、受け流し、摺り上げ、摺り落としなどの基本槍法は、全て宝蔵院分流陰派槍術にも含まれており、「柳生但馬守宗厳(石舟斎)が上泉伊勢守や覚禅坊胤栄との交流によって習得し、宗矩・時沢弥兵衛へ伝わった技法である」という天心流の伝承とも一致している。
宝蔵院流を含めた槍術流派について、修心流居合術兵法の町井勲先生は以下のように主張している。
「一方で室町時代、戦が頻繫に行われていた頃の刀剣は、江戸期の刀剣に比べると華奢なものが多く、殊更十文字槍を見ると、槍術自体も力技に変化したことが垣間見られるのです。
ご興味があれば、室町時代の十文字槍と、江戸後期の十文字槍を比較してみると良いでしょう。方や重ねが薄い室町期の十文字槍に対し、江戸後期の十文字槍は重ねが倍近くあることに気付きます。
現在、奈良を中心に宝蔵院流を名乗る団体の鎌槍の使い方は、完全に力技であり、そのため稽古の中で木槍の鎌部が欠けたり、折れたりすることが頻繫に発生しています。
自他共に認める槍のコレクターである私の収蔵品の中には、実戦で使われた室町期の十文字槍がありますが、鎌部に小さな刃毀れが数箇所見られるも、槍の穂先そのものは曲がりや捩れもなく非常に健全なのです。重ねが薄い室町期の十文字槍を、現代の宝蔵院流修行者が用いると、九割の確立で鎌を曲げ、場合によっては折損させることでしょう。
槍はとても強いイメージがあるかもしれませんが、実は脆い武器でもあります。中国の槍と違って、日本の槍は中心(なかご)を柄の中に差し込む構造が殆どだからです。一方、袋槍と呼ばれる鉾と同じ古式構造の槍の方が折れにくいと思われます。
何故私がそのように考えるのかと言いますと、過去、運送会社に槍の柄を折られた経験があるからです。槍は石突に近い部分を握って持ち上げる分には折れませんが、逆に太刀受と呼ばれる槍の穂先に近い部分を握って持ち上げようとすると、案外簡単に折れてしまうのです。それは槍の柄が、槍の穂先の中心(なかご)を差し込むために掻き入れされ、その部分の肉が薄くなっているからです。直径2センチ程(穂先に近い部分)の柄は、中が空洞で、その周囲は僅か5ミリ程の肉厚しかありません。ですからテンションをかけると簡単に折れるのです。
時代劇などでは槍の石突付近を片手で握り、頭上でブンブンと大きく振り回す様が見られますが、怖がらず自ら槍の太刀受部にぶつかりに行けば、遠心力によって槍は簡単に折れてしまいます。実戦ではあり得ない動きなのです。時代劇の中だけで通用するファンタジーな技です。
話が少し逸れますが、古流を名乗る流派で、このような槍の使い方をするところは、その系譜を疑問視する必要があると思います。
槍術演武で、私はこの頭上でブンブン振り回す動きをする流派を天心流兵法以外で見たことがありません。故に私は天心流が宝蔵院流影派と名乗ることに対し、実用面から見て“ありえない”と指摘する次第です。槍や薙刀は長い分折れ易いと言うことを忘れてはいけません。ありえない動きを当り前のように行うのは、実戦を知らない現代人が作る創作槍術形であるからです。」
http://isao-machii.org/2018/03/29/%e9%80%a3%e7%9b%9f%e5%b1%85%e5%90%88%e3%80%80%ef%bd%9e%e6%ad%a6%e9%81%93%e3%81%a8%e6%ad%a6%e8%a1%93%e3%80%81%e6%bc%94%e8%88%9e%e3%81%a8%e6%bc%94%e6%ad%a6%ef%bd%9e/
しかし、上記において町井先生は、槍術流派の創始時期と各時代における槍の構造変化の関連性について、いくつか誤った認識を持っている。
そもそも、室町時代というのは戦で槍が使われ始めたばかりの時期であり、町井先生のおっしゃる通りこの時期の槍は非常に脆く、実戦に即した造りとなっていなかった。
というのも、室町時代において槍は「低コストで大量生産出来る足軽用の兵装」という立ち位置にあり、戦に耐え得る頑丈性など無視した粗悪な造りのものばかりであった。
一方、現在まで伝承されている槍術流派は室町時代後期以降に創始されたものばかりであり、武士(侍)の間でも槍が一般的な兵装となり、改良されて頑丈な造りとなった槍の扱いを前提として技法が編み出されていることは明白である。
従って、槍を大きく振り回す動きは少しもおかしなことではなく、むしろ頑丈な槍の特性を活かして攻撃と防御を同時に行うことが出来る非常に実戦的な技法である。
実際、槍を大きく振り回す技法というのは比較的多くの槍術流派に見られる。
宝蔵院流や佐分利流をはじめとした各流派が、槍を振り回して相手を斬りつけたり、互いに柄で叩きつけるように打ち合ったり、脚を払ったりする技法を演武で多く披露している理由は、上述の通り室町時代後期以降に武士が使用していた頑丈な「持槍」を扱うことを元来想定しているためである。
宝蔵院流槍術
https://www.youtube.com/watch?v=lMhw-FMWW_A
佐分利流槍術
https://www.youtube.com/watch?v=eqWmEx6Jl5M
http://tenshinryuhyoho.blog.fc2.com/blog-entry-456.html
実際、宝蔵院分流陰派槍術はそれ自体が1つの流派として伝承されている訳ではなく、あくまで「天心流の外物」として内伝されており、宝蔵院流そのものとは明確に区別されている。
とはいえ、「宝蔵院分流」という修飾語が付いている以上、天心流の外物としての陰派槍術が技法的に宝蔵院流と全く無関係なはずは無い。
では、宝蔵院分流陰派槍術と宝蔵院流の間には、どれほど技法の共通点があるのか。
天心流の外物としての宝蔵院分流陰派槍術では、天心流の抜刀術や剣術の動きを応用して基礎的な槍法を修業する。
すなわち、突きや斬り、打ち、払い、受けなどの基礎的な槍法を中心に、時にそれらを組み合わせたり、抜刀術や剣術の形の動きを応用するなど、柔軟性に富んだ修業法を実践する。
特に、宝蔵院流の形に含まれている構えや突き、柄や石突を用いた打ち、巻き返し、斬り落とし、叩き落とし、受け流し、摺り上げ、摺り落としなどの基本槍法は、全て宝蔵院分流陰派槍術にも含まれており、「柳生但馬守宗厳(石舟斎)が上泉伊勢守や覚禅坊胤栄との交流によって習得し、宗矩・時沢弥兵衛へ伝わった技法である」という天心流の伝承とも一致している。
宝蔵院流を含めた槍術流派について、修心流居合術兵法の町井勲先生は以下のように主張している。
「一方で室町時代、戦が頻繫に行われていた頃の刀剣は、江戸期の刀剣に比べると華奢なものが多く、殊更十文字槍を見ると、槍術自体も力技に変化したことが垣間見られるのです。
ご興味があれば、室町時代の十文字槍と、江戸後期の十文字槍を比較してみると良いでしょう。方や重ねが薄い室町期の十文字槍に対し、江戸後期の十文字槍は重ねが倍近くあることに気付きます。
現在、奈良を中心に宝蔵院流を名乗る団体の鎌槍の使い方は、完全に力技であり、そのため稽古の中で木槍の鎌部が欠けたり、折れたりすることが頻繫に発生しています。
自他共に認める槍のコレクターである私の収蔵品の中には、実戦で使われた室町期の十文字槍がありますが、鎌部に小さな刃毀れが数箇所見られるも、槍の穂先そのものは曲がりや捩れもなく非常に健全なのです。重ねが薄い室町期の十文字槍を、現代の宝蔵院流修行者が用いると、九割の確立で鎌を曲げ、場合によっては折損させることでしょう。
槍はとても強いイメージがあるかもしれませんが、実は脆い武器でもあります。中国の槍と違って、日本の槍は中心(なかご)を柄の中に差し込む構造が殆どだからです。一方、袋槍と呼ばれる鉾と同じ古式構造の槍の方が折れにくいと思われます。
何故私がそのように考えるのかと言いますと、過去、運送会社に槍の柄を折られた経験があるからです。槍は石突に近い部分を握って持ち上げる分には折れませんが、逆に太刀受と呼ばれる槍の穂先に近い部分を握って持ち上げようとすると、案外簡単に折れてしまうのです。それは槍の柄が、槍の穂先の中心(なかご)を差し込むために掻き入れされ、その部分の肉が薄くなっているからです。直径2センチ程(穂先に近い部分)の柄は、中が空洞で、その周囲は僅か5ミリ程の肉厚しかありません。ですからテンションをかけると簡単に折れるのです。
時代劇などでは槍の石突付近を片手で握り、頭上でブンブンと大きく振り回す様が見られますが、怖がらず自ら槍の太刀受部にぶつかりに行けば、遠心力によって槍は簡単に折れてしまいます。実戦ではあり得ない動きなのです。時代劇の中だけで通用するファンタジーな技です。
話が少し逸れますが、古流を名乗る流派で、このような槍の使い方をするところは、その系譜を疑問視する必要があると思います。
槍術演武で、私はこの頭上でブンブン振り回す動きをする流派を天心流兵法以外で見たことがありません。故に私は天心流が宝蔵院流影派と名乗ることに対し、実用面から見て“ありえない”と指摘する次第です。槍や薙刀は長い分折れ易いと言うことを忘れてはいけません。ありえない動きを当り前のように行うのは、実戦を知らない現代人が作る創作槍術形であるからです。」
http://isao-machii.org/2018/03/29/%e9%80%a3%e7%9b%9f%e5%b1%85%e5%90%88%e3%80%80%ef%bd%9e%e6%ad%a6%e9%81%93%e3%81%a8%e6%ad%a6%e8%a1%93%e3%80%81%e6%bc%94%e8%88%9e%e3%81%a8%e6%bc%94%e6%ad%a6%ef%bd%9e/
しかし、上記において町井先生は、槍術流派の創始時期と各時代における槍の構造変化の関連性について、いくつか誤った認識を持っている。
そもそも、室町時代というのは戦で槍が使われ始めたばかりの時期であり、町井先生のおっしゃる通りこの時期の槍は非常に脆く、実戦に即した造りとなっていなかった。
というのも、室町時代において槍は「低コストで大量生産出来る足軽用の兵装」という立ち位置にあり、戦に耐え得る頑丈性など無視した粗悪な造りのものばかりであった。
一方、現在まで伝承されている槍術流派は室町時代後期以降に創始されたものばかりであり、武士(侍)の間でも槍が一般的な兵装となり、改良されて頑丈な造りとなった槍の扱いを前提として技法が編み出されていることは明白である。
従って、槍を大きく振り回す動きは少しもおかしなことではなく、むしろ頑丈な槍の特性を活かして攻撃と防御を同時に行うことが出来る非常に実戦的な技法である。
実際、槍を大きく振り回す技法というのは比較的多くの槍術流派に見られる。
宝蔵院流や佐分利流をはじめとした各流派が、槍を振り回して相手を斬りつけたり、互いに柄で叩きつけるように打ち合ったり、脚を払ったりする技法を演武で多く披露している理由は、上述の通り室町時代後期以降に武士が使用していた頑丈な「持槍」を扱うことを元来想定しているためである。
宝蔵院流槍術
https://www.youtube.com/watch?v=lMhw-FMWW_A
佐分利流槍術
https://www.youtube.com/watch?v=eqWmEx6Jl5M
尾張貫流においても、管槍を用いて相手を打つ、斬り込むなど、槍をコンパクトに振ることで敵を攻撃する技法が数多く伝承されている。
尾張貫流槍術
故に、室町時代前期に作られた粗悪で耐久性の無い足軽用の「数槍」を基準として、室町時代後期以降に創始された槍術流派の技法を「力技に変化した」と批判する町井先生の主張は、完全に的外れである。
何故なら前述の通り、そもそも宝蔵院流や佐分利流をはじめとした槍術流派の技法は、創始時期である室町時代後期以降に“武士(侍)”が使用していた頑丈な造りの「持槍」を扱うことを想定しており、町井先生が所持されているような粗悪で耐久性の無い足軽用の「数槍」を扱うことは想定していないからである。
室町時代後期以降に一般的だった槍の多くは、挿し込み式によって柄と槍頭が接合されており、柄から穂が斬り落とされないようにするために刃:茎の比率が1:2〜1:3となるよう長く作られている。
また、柄自体もよくしなるため、人間1人の力で振り回して相手に叩きつける程度では容易に折れない。
何故なら前述の通り、そもそも宝蔵院流や佐分利流をはじめとした槍術流派の技法は、創始時期である室町時代後期以降に“武士(侍)”が使用していた頑丈な造りの「持槍」を扱うことを想定しており、町井先生が所持されているような粗悪で耐久性の無い足軽用の「数槍」を扱うことは想定していないからである。
室町時代後期以降に一般的だった槍の多くは、挿し込み式によって柄と槍頭が接合されており、柄から穂が斬り落とされないようにするために刃:茎の比率が1:2〜1:3となるよう長く作られている。
また、柄自体もよくしなるため、人間1人の力で振り回して相手に叩きつける程度では容易に折れない。
特に、柄と槍頭の接合部というのは通常かなり頑丈に作られているものなので、よっぽど粗悪な槍で無い限り常人の力で折ることは不可能である。
ただし、接合部が劣化していると、町井先生が体験されたように太刀打を握って持ち上げる程度の力でも折れることがあるだろう。
薙刀や長巻も同様に、足軽用のものは低コストで大量生産するために粗悪で耐久性が無く、ちょっとした衝撃ですぐに折れてしまうものが多いが、武士が使っていたものは職人が一つ一つ丁寧に製作しているため、大きく振り回して敵に叩き付けたところでそう簡単に折れはしない。
これも、現代まで伝承が続いている薙刀術や長巻術の各流派を見れば一目瞭然である。
上述のような正しい歴史認識と現実を踏まえ、町井先生は自らの誤りに気づき、その主張を撤回するべきだろう。
とはいえ、町井先生が粗悪で耐久性の無い長柄武器の扱いを想定して修業すること自体は、修心流の槍術としてその個性を認めるべきである。
何故なら、実戦では必ずしも武士用の頑丈な長柄武器を調達出来るとは限らず、やむを得ず足軽用の粗悪で耐久性の無い長柄武器を使って戦わざるを得ない状況も想定出来るからである。
しかし、粗悪で耐久性の無い長柄武器の扱いを想定することが修心流の思想であったとしても、その思想は他流派では通用しない。
これは一人前の武術家であれば誰もが知っている常識であり、武術界隈に身を置く限りは必ず守らなければならない礼節でもある。
自流を極めることは大変結構なことだが、どうか町井先生には一人前の武術家としての常識と礼節を守っていただきたい。
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