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強いストレートパンチの打ち方

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キックボクシングなどの格闘技において、強いストレートパンチを打つためには、打つ方とは反対の脇を締めることが重要である。 https://www.youtube.com/shorts/x2WzVUmApq8 これは、少林寺拳法などにおいても重要視される基礎的なテクニックであり、私も少林寺拳法を習いたての頃は先生方や先輩方から脇を締めて突くようにとご指導をいただいた。 脇を締めることで体の回転力をより効率的に利用出来るため、パンチの威力が上がる。 強いパンチを打ちたいのであれば、是非各々のフォームを確認しながら練習してみると良いだろう。

武術の口伝

日本の古武術や空手、中国武術などにおいては、流派(門派)の技術を次代へ継承するための手法として口伝が一般的である。 書物のような形ある状態で情報を記録するのではなく、師から弟子への口伝えのみで教えを継承していくことで、その流派の技術が外部に漏洩し、門外漢が悪用することを防ぐことが出来る。 特に、空手や中国武術では日本の古武術のように伝書を残す習わしが無く、古の時代から現在に至るまで技や形は全て口伝によって継承されることが通例となっている。 例外として、大正時代以降に空手が沖縄から他県に普及した際、摩文仁賢和が日本の武術の風習を取り入れて糸東流空手の目録を発行したこともあったが、他の空手流派ではそうした伝書の類いを正式に発行することはほとんど無い。 日本の古武術界隈では、伝書の無い流派に対して「捏造流派」のレッテルを貼る輩がしばしば現れるが、そもそも日本の古武術においても伝書の発行自体は必ずしも流派の継承を担保するものではなく、むしろ教えは本来口伝によって継承されるものである。 というのも、日本の古武術において「伝書」と呼ばれるものは、大きく分けて「目録」と「口伝書」の二種類が存在するが、目録に関しては流派に伝わる形の名称や歴代継承者の一覧が記載される程度で、技の内容や戦術思想などの具体的な教えが書かれることはあまりない。 しかし、目録は流派が発行する唯一の正式な伝書と言っても過言ではないため、現代武道における段位証明書や允可状のようなものと考えれば決して軽く扱えるものではないだろう。 一方、口伝書とはその名の通り、本来であれば口伝で継承するべき重要な情報を書物などに記載して形ある状態に残したものである。 口伝書は目録とは違い、流派が正式に発行する伝書ではなく、修業者個人が教えを失念しないよう任意に自作する書き付けであり、現代でいえばメモやマニュアルに相当する。 従って、口伝書には技の詳細や具体的な戦術など目録に書かれない内容が記載されているが、前述の通り修業者が個人の意思で自作する私書であるため、必ずしも全ての流派で口伝書が残されている訳ではない。 むしろ、流派や系統によっては口伝書(メモ、書付、備忘録)の製作を禁止している場合もあり、そうした意味では口伝書が残っていること自体が奇跡とも言える。 前述の通り、稽古の内容を記したメモは口伝書となり得るため、もしそれが外

日本の古武術(古武道)における流祖

流祖とは本来「その流派を創始した人物」を意味する言葉であるが、日本の古武術においては必ずしもそうとは限らない。 例えば、江戸伝柳生心眼流(柳生心眼流體術)の開祖は荒木又右衛門とされているが、同流派の宗家として日本古武道協会に加盟している荒木堂は、公式サイトにて次のように語っている。 「伝書等の史料を学術的に追求すれば、柳生心眼流體術の流祖として荒木又右衛門は無理があることは事実です。何時、誰が流祖を荒木又右衛門としたか、明確ではありませんが、当流の実質的な流祖である小山左門が、神様・仏様と言う意味合いで柳生十兵衛、荒木又右衛門を据えたと言う説もあります。 しかしながら、仮にその説を採るとしても、当流を伝承する者として、また、当流を学ぶ者としては純粋に学術的な研究と併せて、実質的な流祖小山左門が何を理想とし、何を想って柳生十兵衛,荒木又右衛門を据えたかを考えなければならない。おそらく、その人間性、至った境地等々を己の目標として、また自分がその真の継承者であるとの自負から流祖、法祖として据えたに違いないと思います。そうしたことを勘案すれば、小山左門が柳生十兵衛、荒木又右衛門から直接的に指導を受けたと言う事実が無かったとしても、精神面も含めて考えれば、当流ではあくまでも法祖は柳生十兵衛、流祖は荒木又右衛門なのです。さらに付け加えるならば、柳生十兵衛、荒木又右衛門共に流儀で言えば新陰流です。流祖・法祖として二人を据えたということは、求めるものとして新陰流を据えたと言うことであるといえます。」 流祖についての考察 荒木堂 https://arakido.wixsite.com/arakido/gaiyou つまり、「江戸伝柳生心眼流を創始した」という意味での実質的な流祖は小山左門であるが、その小山左門にとって荒木又右衛門や柳生十兵衛は武術的・精神的模範であるため、江戸伝柳生心眼流では荒木又右衛門を流祖、柳生十兵衛を法祖とし、実質的な流祖である小山左門はあくまで同流派の二代目とされている。 また、一刀流各派においても流祖は伊藤一刀斎とされているが、そもそも一刀斎自身は自らの流派を「一刀流」と名乗ったことが一度も無い。 「一刀流」と最初に名乗り始めたのは、同流派の二代目である小野忠明であり、「流派を創始した人物」としての実質的な流祖は小野忠明と言えるが、しかし一刀流各派では小野忠