死刑制度は必要なのか
日本国内では死刑制度賛成の声が根強いが、他国の例を見ると必ずしも死刑制度が犯罪被害者の心を救うとは限らないようだ。 母を殺害された女性はなぜ「終身刑への減刑」を願い出たのか 遺族の心を癒やすとは限らない「死刑」の意味 https://www.tokyo-np.co.jp/article/256459 (以下引用) <連載 命の償い 米国~第4部 死刑とゆるし>㊤ 「クレイジーに聞こえるかもしれないけれど」と前置きして、トニ・ホール(32)は言った。「実はその日、私は泣いてしまった」 昨年7月28日、米南部アラバマ州で死刑囚ジョー・ジェームズ=当時(50)=が処刑された。1994年に同州バーミングハムで元交際相手の女性フェイス・ホール=同(26)=を射殺した男。トニが涙を流したとためらいがちに打ち明けたのは、自身が被害者であるフェイスの娘だからだ。「でもジェームズにも親や子がいた。私は彼らへの思いを抑えられなかった」 殺人などの凶悪犯を極刑に処すことで、被害者の遺族らは報われる—。死刑制度を存続させる考え方の一つに、こうした応報感情が挙げられるが、米国には異を唱える人も少なくない。トニもその一人だ。 母に付きまとっていたジェームズが犯行に及んだ時、トニは3歳だった。知らせの電話を受けた曽祖母が受話器を落として泣き崩れ、夜になってテレビが母の名前を繰り返し告げた記憶がおぼろげに残るだけだ。 それでも、いつも一緒だった母の不在はトニの成長に深い影を落とした。友人たちに「お母さんは死んだ」と話すと静まり返る。父や親族と暮らした家では虐待も受けた。大人になって流産した時は、母に抱きしめてほしかった。「私の人生は事件への怒りと憎しみでいっぱいだった」 ◆「かつての自分と同じように苦しむ人を生むだけだ」 ジェームズは事件から5年後の99年に死刑が確定。祖母らは「執行はいつなのか」と長く処刑を望んだが、トニは次第に「負の感情に振り回されたくない」と感じるようになった。 その思いは2020年、同じバーミングハムで起きた別の殺人事件で男が処刑された時、「死刑も殺人だ」という確信に変わった。亡き母の年齢を過ぎ、自身も幼い子を持つ親となったトニ。「刑罰として加害者の命を奪っても、かつての自分と同じように苦しむ人を生むだけだ」と感じた。 死刑が遺族の心を癒やすとは限らないことは