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パンチ力を上げるストレッチ

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田村装備開発の田村社長が、パンチ力を上げるストレッチ法について解説してくださった。 「船漕ぎストレッチ」によって肩甲骨の柔軟性を向上させる他、「逆腕立て伏せ」も効果的とのこと。 船漕ぎストレッチ https://www.youtube.com/watch?v=8Rr29gXImng 肩甲骨周りの筋肉や関節の柔軟性を上げることで、より全身の力をパンチに乗せやすくなるため、パンチ力を上げる方法としてストレッチは効果的と言えるだろう。

伝統派空手の組手とリズム

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全日本空手道連盟(全空連)をはじめとした伝統派空手の組手競技では、丹田と膝を使ってリズムを取ることが一般的となっている。 「空手の形には丹田と膝を使ってリズムを取る動きなど無い」という主張もあるが、そもそも形は実戦の雛型ではなく技の習得と鍛練を目的としているので、リズムを取る動きが無いことは当然である。 元々、伝統派空手の組手競技では古くからフェイントを交えた駆け引きが行われており、この頃から丹田と膝を使って相手のリズムを崩す戦術が重要であった。 1963年及び1969年・全日本大会 https://www.youtube.com/watch?v=8kY54hOO_TM 1966年・ロンドン大会 https://www.youtube.com/watch?v=AEmR7bZe2y0 1970年・世界大会 https://www.youtube.com/watch?v=iJJ9n6sD2EY 1984年・西村誠司先生(現役選手時代)とデニー選手(インドネシア代表)の組手 https://www.youtube.com/watch?v=_Dgv4iNc0Fo 第31回全国空手道選手権大会(1988年)・日本空手協会 https://www.youtube.com/watch?v=duKcIYkCIpQ その後、誰がどのようなきっかけで生み出したのかは定かでないが、同じように丹田と膝を使い、フェイントだけでなくリズムも取るスタイルがいつしか組手のスタンダードとなった。 つまり、丹田と膝を使ったリズムは空手や形の問題である以前に、組手競技という実戦を模した試合において、相手より優位に立つために自然発生的に生まれた闘争本能の表れである。 「では、試合以外の実戦でも同じようにリズムを取るのか」という主張もあるが、それはケースバイケースである。 各々の得意な戦術や状況により、リズムを取りたければ取っても良いし、取りたくなければそれでも良い。 足場が悪ければリズムを取ることも出来ないであろうが、そもそもルールのある組手競技とルールの無い実戦を同じ土俵で比べるべきではなく、組手競技とそれ以外の実戦でそれぞれ違う動きをすることは、状況に応じて柔軟な戦い方をするという武術家として当然の姿勢であり、何もおかしなことではない。 組手競技とルールの無い実戦を同じものと考えている短絡的思考の持ち

天心流が海外で評価されている理由

天心流兵法(江戸伝天心流)は、海外における支部やセミナー、演武が多く、YouTubeやインターネット掲示板においても海外の武術愛好家からの好意的な反応が非常に多い。 国内では伝系を含めた流派の歴史に様々な疑念が抱かれ、アンチからの襲撃予告により威力業務妨害すら被った天心流が、何故海外ではこれほど評価されているのか。 それは、天心流の技における実戦性のわかりやすさが理由である。 そもそも、欧米などでは西洋剣術のように伝系不明の武術は多数存在しているため、海外の武術愛好家はあまり流派の歴史に着目しない。 一方、古武術を含めたあらゆる武道・武術・格闘技が海外において評価されるためには、その実戦性をわかりやすく証明することが重要である。 実際、武神館をはじめとした海外で人気の日本武道・武術は、全て技の実戦性が評価されて広まっており、日本の武術愛好家のように流派の伝系や歴史の正当性を根拠に修業している者はごく少数である。 逆に、いくら伝系や歴史が正しくとも、技の実戦性が証明されなければその流派は海外で評価されない。 天心流の形は、想定している状況が非常にわかりやすく、熟練者ともなれば実戦同様のスピードで演武出来ることが特徴であるため、実戦性をことさら重視する海外の武術愛好家から見ても、その技を実戦で使用するイメージを掴みやすい。 「抜刀術や剣術を現代社会の実戦で使うことがあるのか」と疑問を抱く日本の武術愛好家もいるかもしれないが、日本より刀剣類の所持・携帯規制が緩い国も海外には多く、実際に刀剣類が使用される事件も頻発している。 また、脇差や小太刀を使用した古武術の技はナイフ術として応用出来る他、柔術には対刃物を想定した技も多く、剣術や槍術なども他の得物の扱いに応用出来るため、武器を用いた実戦が多い海外では、それらの状況を形としてわかりやすく示すことで実戦性を証明してくれる天心流の人気が高いことも頷ける。 国内では天心流を「大道芸」「殺陣」と揶揄する声もあるが、どれだけ伝系や歴史に信憑性があったところで、実戦性を失った流派はもはや武術として失伝したも同然であり、形骸化した技だけを伝承しているようでは大道芸や殺陣とも呼べず、それこそ捏造流派と言える。 その点において、実戦性が世界から認められている天心流は、真に「生きている武術」と言える。

インボイス制度の悪影響

「インボイス制度」の導入によって、漫画やアニメ、声優、俳優業界などの各フリーランスは窮地に立たされている。 「インボイス」で年収1000万円超の漫画家も廃業検討...エンタメ団体が悲痛な訴え 「フリーランスだけの問題ではない」これだけの理由 https://www.msn.com/ja-jp/money/other/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%82%A4%E3%82%B9-%E3%81%A7%E5%B9%B4%E5%8F%8E1000%E4%B8%87%E5%86%86%E8%B6%85%E3%81%AE%E6%BC%AB%E7%94%BB%E5%AE%B6%E3%82%82%E5%BB%83%E6%A5%AD%E6%A4%9C%E8%A8%8E-%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%A1%E5%9B%A3%E4%BD%93%E3%81%8C%E6%82%B2%E7%97%9B%E3%81%AA%E8%A8%B4%E3%81%88-%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%81%A0%E3%81%91%E3%81%AE%E5%95%8F%E9%A1%8C%E3%81%A7%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%84-%E3%81%93%E3%82%8C%E3%81%A0%E3%81%91%E3%81%AE%E7%90%86%E7%94%B1/ar-AA14e6C4?ocid=msedgntp&cvid=55d6fc4dc2de46f6b1e9ed978735f249 【以下引用】 「インボイス制度」の導入によって、漫画やアニメ、声優、俳優業界では2割以上の人々が廃業する可能性がある――エンタメ系4団体は合同で2022年11月16日、制度見直しを求める記者会見を開いた。 団体らに対しては「フリーランスの人々だけの話ではないか」「益税を納めるべきだ」といった声が寄せられているというが、声優の有志団体「VOICTION」共同代表の岡本麻弥さんは「誤解がある」と主張する。J-CASTニュースは、登壇者らに取材した。 「多くの業界のフリーランスが増税、収入の減少に耐えられない」 「インボイス制度」(正式名称:適格請求書等保

ナイフ術の間合い

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刃物で武装した相手に素手で対抗するにあたり、最も肝心なことは自身の技量の高さである。 より正確に言うと、「技量の高さ」とは単純に技や形の手順を体に覚えさせているかどうかだけではない。 実戦で技を使用する際の「間合い」も重要な要素の1つである。 例えば、ナイフを手にした相手と戦う際は、決してナイフの間合いに居着いてはならない。 ナイフの間合いでは、何よりもナイフを持つ相手の方が圧倒的に有利であり、これは自分が素手であろうとナイフ以外の武器を持っていようと変わらない。 実際、敵にナイフで斬りつけられてしまうケースというのは、全て相手のナイフの間合いに居着いていることが原因で起こっている。 対ナイフ護身術の失敗例 https://www.youtube.com/watch?v=E61jnJe_1SI https://www.youtube.com/watch?v=yLiw2fhGmnI https://www.youtube.com/watch?v=dayyz7ifsP4 https://www.youtube.com/shorts/RAEU8C2NyKA そのため、こうしたケースを根拠として、「巷の対ナイフ護身術はどれも実戦では使えない」と断言してしまう者が多いが、前述の通り自分が相手のナイフの間合いに居着いてしまっては、ナイフを手にした相手に敗北するのは当然である。 そもそも、多くの対ナイフ護身術自体も、相手のナイフの間合いで戦うことは想定していない。 何故なら、対ナイフ護身術において重要なことは、「相手のナイフの間合いに居着かず、自分にとって有利な間合いで戦うこと」だからである。 例えば、対ナイフ護身術として有名なクラヴ・マガやカリ(エスクリマ、アーニス)、シラットなどでは、相手のナイフより内側の間合いに飛び込むことで自らの安全を確保する。 クラヴ・マガ https://www.youtube.com/watch?v=OY7Y1JoRnnI カリ(エスクリマ、アーニス) https://www.youtube.com/watch?v=zHJe6mgm9mQ https://www.youtube.com/watch?v=mZz-bgGfwdw https://www.youtube.com/watch?v=0YFYLjGFKis シラット https://www.y

実戦で使える技と「合気を得る」こと

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田村装備開発の田村社長は、かつてとある合気道の師範に技を掛けてもらおうと本気で手首を握った際、「そんながむしゃらに握ったら合気は得られない」と言われて困惑されたとのことである。 田村社長と合気道師範の話 https://www.youtube.com/watch?v=_9_qsU3mGbU 確かに、一部の合気道会派では、「相手の手首を強く掴んではならない」と教えられる時があり、気の流れを捉えることを重視してあえて強い力を使わず、柔らかい動きだけで行う稽古法を「流れ稽古」と呼ぶ。 本来、合気道ではまず最初に、強い力でしっかりと手首を掴ませた状態から技を掛ける「固い稽古」を行い、上達するに従って相手が掴もうとしてくる気の流れを読み、掴まれる前に柔らかく技を掛ける「流れ稽古」へと移っていく。 しかし、会派によっては「固い稽古」をせずにいきなり「流れ稽古」をする道場もあるため、そういった修業しかしてこなかった者は強い力で手首を掴まれると技を掛けられないのだという。 また、上述の通り本来は掴まれる前に技を掛けることが理想だが、掴まれてしまったことを想定し、その状況から動くことを練習するための初期段階として、最初の内は力を緩めてもらって具体的な動きが確認しやすいよう配慮し合うことがある。 養神館合気道 精晟会渋谷のブログ https://www.aikidoshibuya.tokyo/post/aikido-exercise これは、他の武道・武術・格闘技で言えば、早い動きで練習する前にゆっくりとした動きで丁寧に技を体に覚えさせたり、技の手順を網羅するためにあえて力を緩めて練習することと同様であるため、仮に合気道を実戦で使えるように稽古するとしても必要である。 また、合気道を含めたあらゆる武道・武術・格闘技をやっている者達は、全員がそれを実戦で使うことを想定して練習している訳ではない。 武道や武術、格闘技においても、「勝ち負けや技の上手さに関わらず、単にその武道・武術・格闘技が好きだからやっている」という者は多く、あるいは「その武道や武術、格闘技が持つ独自の文化や精神を学びたい」という理由で練習する者、映画などの創作作品に憧れて練習する者やストレス発散など、皆様々な理由で練習している。 ボクシングやキックボクシングなどの試合競技が確立された格闘技においても、スパーリングや試合出

兵器の保持と侵略意思

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2022年12月7日、朝日新聞の夕刊に以下のコラムが掲載された。 上記は、昨今において議論の的となっているトマホークミサイルの保持や、敵基地攻撃能力に対する意見と思われる。 しかし、強力な兵器を保有することは、必ずしも先制攻撃能力を持つことに繋がる訳ではない。 何故なら、例え強力な攻撃兵器を保有していたとしても、時の政権に他国を侵略する意思が無ければ、先制攻撃やそれに伴う侵略戦争も起こらないからである。 より簡単に言えば、兵器が人を殺すのでは無く人が人を殺すのである。 そもそも、現在の自衛隊はトマホークを保有していないとはいえ、その気になれば現状の戦力であっても他国へ先制攻撃を仕掛けることは十分可能である。 無論、自衛隊はアメリカ軍や中国人民解放軍ほどの先制攻撃能力は持っていないが、軍隊並みに多彩な兵器を保有していることは誰しもが知っており、他国の軍隊に侵攻された際に迎撃が出来るということは、少なからず敵兵を殺し、敵兵器を破壊するほどの実力は既に備えているということである。 実際、陸上自衛隊・水陸機動団は、有事における離島奪還を目的とした上陸訓練を行っており、他国の軍隊で言うところの「海兵隊」と同じ作戦遂行能力を有している。 水陸機動団の上陸訓練 https://www.youtube.com/watch?v=i14TnmC6ZGQ 従って、水陸機動団が航空自衛隊や海上自衛隊の支援を受けながら、他国の領土への上陸作戦を遂行すれば、それは侵略戦争の足掛かりたる先制攻撃となる。 しかし、そのレベルの先制攻撃能力を既に持っているにも関わらず、日本の自衛隊が他国へ侵攻しない理由は、過去から現在に至るまで歴代の政権がそれを望まなかったからである。 逆に言えば、例え大した先制攻撃能力を持っていないとしても、時の政権が他国への侵攻を望めば今すぐにでもそれは実現出来る。 事実、ロシア軍は最新兵器が全軍に行き渡っておらず、それどころか未だに1980年代式の古い兵器を使っている部隊すらあるほどで、アメリカ軍のような高い先制攻撃能力は持っていないが、プーチン大統領の一声によってウクライナへの侵攻を実現している。 つまり、もしプーチン大統領のような強権的で野心のある者が日本の首相になってしまうと、その独裁がエスカレートした結果として憲法を含めた諸法も瞬く間に改正され、現在の自衛隊が他国へ侵

少林寺拳法「短刀突込み下受打落蹴」

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仁王拳に属するこの技は、攻者の短刀を打ち落とすことが非常に難しく、私も現役時代に様々な先生方から教えを受けたものの、どの先生方も攻者が本気で握った短刀を打ち落とすことは結局出来ず、最後まで習得が叶わなかったものである。 そのため、私はこの技について、あくまで複数の基本技を効率よく練習出来るよう作られた「形」であると長年認識してきた。 「形」は実戦における雛型ではないため、実戦において形通りの動きをする必要は無い。 しかし、この技には短刀による突き込みやそれをかわすための体捌き、下受け、打ち落とし、中段蹴りなど、実戦において有効な基本技が複数揃っているため、それらを一度に効率よく練習するには都合が良いのである。 あるいは、この技を少し応用すれば実戦でも十分に使えるものとなる。 例えば、打ち落としの代わりに短刀を持つ相手の手を掴んでしまえば、相手の腕をコントロールしつつ中段蹴りを食らわせ、さらに投技や逆技などに連絡変化させることも出来るようになる。 こうした応用技が出来ることからも、この技自体は「技」というより「形」なのだろうと私は考えていたのである。 しかし、下記の動画を見つけて以来、この技は実戦でもそのまま使えるかもしれないという考えが私の中で生まれつつある。 https://www.youtube.com/watch?v=p0-ZQFboVdQ https://www.youtube.com/watch?v=cW2KeoEsLxg これまで私が習ってきた短刀突込み下受打落蹴では、相手の合谷などを狙って自然体のまま打ち落としをしてきたが、体の力を使って打ち込んでいるとはいえ、相手の短刀を弾き飛ばすには少し威力が足りないと思っていた。 しかし、上記の動画では、打ち落としの際に深く腰を落とし、攻者の手により多くの体重の力が加わるよう工夫していることで、見事に短刀を弾き飛ばしている。 確かに、これならばより強い威力を実現し、短刀突込み下受打落蹴を文字通り「技」として実戦で使うことが出来るかもしれない。 かつて、「ヨーロッパの各道院では、少林寺拳法の実戦性の研究が盛んである」という噂を聞いたことがあったが、この動画を見る限り事実のようである。

武術史の調査法

日本の古武術や沖縄空手の歴史を調査するにあたり、最も重要な根拠は流派の伝承である。 伝承は「目録」や「口伝書」といった物的史料の形で残されている場合もあるが、それらに記された情報は伝承全体におけるほんのごく一部でしかなく、大半は師匠から弟子へと代々受け継がれる「口伝」という実体の無い形でしか残らない。 そのため、武術史の調査をする際は、生きている継承者が公開する情報を頼りに歴史の通説と照らし合わせたり、流派に縁のある場所をフィールドワークする他無く、通常の歴史学のように膨大な物的史料を元に現実的な説を導きだすことは非常に困難である。 例として、天心流兵法(江戸伝天心流)は歴代師家からの口伝を頼りにフィールドワークを行っているが、やはり天心流も他の古武術流派の例に漏れず、伝承の大部分を口伝でしか継承していないため、物的史料はあまり発見されていない。 フィールドワークのご報告 http://tenshinryu.blog.fc2.com/blog-entry-266.html しかし、物的史料が見つからないからといって、即座にその流派の歴史を否定することは早計である。 何故なら、前述の通り日本の古武術や沖縄空手の伝承は大半を口伝に頼っているため、そもそも物的史料が発見されること自体が奇跡だからである。 現代では書籍の流通やインターネットによる情報公開も昔よりは手軽に行えるようになったため、比較的大規模な流派では各々の伝承を記した書籍を制作したり、ネット上で伝承の一部を公開することがある。 しかし、一般に公開されたそれらの伝承も、結局は師匠から弟子へと口伝によって継承されてきたものがほとんどであり、物的史料を根拠とした情報は全体の割合からするとかなり低い。 武術の伝承とは宗教における神話のようなもので、通常の歴史学のように膨大な物的史料を基に真実へ迫ることはほぼ不可能である。 また、仮に物的史料が見つかったとしても、そもそも史料というものは偽造が可能であり、真贋を見分けることは非常に困難である。 故に、通常の歴史学においても、どれだけ多くの史料に基づいて真実を追求したとしても、それは諸説の1つとしかみなされず、相対的に有力であったとしてもせいぜい「通説」止まりである。 実際、憲政史家の倉山満氏は歴史学の研究における心構えについて次のように述べている。 「本当の事は「わから

【悲報】吉野式氏「士林団の存在を否定する史料は公表されている」と主張するも、具体的な史料名を答えられない

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新徴組研究者の吉野式氏(@yoshino_siki)は、士林団の子孫が彰義隊に参加したという天心流の伝承を否定している。 私は吉野氏に対して、天心流の伝承を否定する明確な根拠を訪ねたが、残念ながら吉野氏は何も答えることが出来なかった。 吉野氏曰く、「士林団の存在を否定する根拠は史料として公表されている」とのことだが、私が具体的な史料名について質問しても、吉野氏は答えることが出来なかった。 本当に士林団の存在を否定出来る史料が既に公表されているのであれば、何故吉野氏はその具体的な史料名を答えることが出来なかったのか。 おそらくは、私があまりにもしつこく質問するので、苦し紛れに嘘を吐いたのだろうが、いずれにせよ誰も目にすることの出来ない存在すら疑わしい史料とやらを根拠にした士林団の非実在説に、どれほどの信憑性があるのだろうか。 情報というものは、公表されている根拠を元にしていなければ信憑性を担保出来ない。 しかし、吉野氏の主張は具体的にどの史料に基づいたものなのかを本人が答えることが出来なかったため、信憑性は皆無といえる。 その証拠に、吉野氏は自身の主張について「他の学者達からも支持を得られていない」と語っており、大した根拠に基づかない彼の主張に信頼性が無いことは客観的に見ても明らかである。 吉野氏は下らない言い訳ばかり並べる前に、主張の根拠となる具体的な史料名を答えるか、あるいはその史料が存在しないのであれば苦し紛れに吐いた嘘について反省するべきであろう。

天心流と新陰流の共通技法

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天心流兵法(江戸伝天心流)は新陰流から派生した流派であるため、技法や思想に関して共通点が多く存在する。 例えば、「手字種利剣(しゅじしゅりけん)」とは元々新陰流の教えで、相手の気配を察知するためには目付が重要であり、相手の打ち出す太刀筋に対して自分の太刀を十文字に合わせて、相手の攻撃を防ぐことを意味する。 「手字種利剣(しゅじしゅりけん)」は柳生宗矩の「兵法家伝書」にも記載があり、唯一勝つための究極であると述べられている。 天心流の素振りは、新陰流の「輪之太刀」と同様の動きをする。 新陰流における輪之太刀は「魔之太刀」とも通称されるもので、受け流しと切り返しが一体となった刀法である。 新陰流・輪之太刀 https://www.youtube.com/watch?v=sLg3G6rIK5I 駒川改心流やタイ捨流など、新陰流から派生した他流派においても輪之太刀と同様の刀法が基礎鍛錬として伝承されており、天心流と同様に新陰流の術理を技術体系に含んでいる。 駒川改心流 https://www.youtube.com/watch?v=L0nXGIzcZEg タイ捨流 https://www.youtube.com/watch?v=TBEwFgdtdio 天心流 https://www.youtube.com/shorts/ARd54Hlzv6s 「天心流を含めた新陰流系流派の素振りは、柳生新陰流のそれとは異なる」と主張する者もいるようだが、そもそも天心流を含めた新陰流系流派には複数種の素振りが存在しており、廻剣を伴わない素振りも存在する。 柳生新陰流・雷刀(上段)からの素振り https://www.youtube.com/watch?v=7Odm-26dxD4 https://www.youtube.com/watch?v=ZFQEpeRjG30 天心流・袈裟懸けの素振り https://www.youtube.com/shorts/a0ODjUMRfzc しかし、廻剣素振りが新陰流系流派に共通した基礎であることに変わりはなく、天心流を含めた新陰流系の各流派が共通の術理を伝承していることは上記の動画を見れば明白と言える。 天心流の青眼は、黒田藩伝柳生新陰流の青岸や、阿州柳生神影流の青岸と同様の構え方をする。 黒田藩伝柳生新陰流と阿州柳生神影流も天心流と同様に、古伝の江戸柳生

天心流の剣術・抜刀術と撃剣叢談

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天心流兵法(江戸伝天心流)における剣術の正式名称は、「天心一刀流」である。 天心一刀流は、天心流の第6世師家でもある石井恒右衛門師が天心流剣術を再編成し、「浪中刀」をはじめとした独自の工夫を加えて創始された剣術流派である。 古剣法保存普及会 http://tenshinryu.blog.fc2.com/blog-entry-240.html https://twitter.com/tenshinryu/status/753887598989369344 天心一刀流は、綿谷雪氏と山田忠史氏によって著された「武芸流派大事典」においても「四代に中村天心あり」と紹介されており、三日月藩や津山藩の天心流剣術と同様の技や術理が継承されている。 江戸時代後期に岡山藩士の三上元龍によって著された武芸書「撃剣叢談」では、天心流に関して以下のように記述されている。 「撃剣叢談」巻之一 天心流は元柳生流に出づ。宗矩の門人時澤彌平と云者一派を立しと云、彌平門人国富忠左衛門此流を弘む。 此忠左衛門元は備前の産也。後播州福本松平靭負殿に臣たり。今以同家に子孫有り、代々忠左衛門と称す。 此流の表上段受流し、同じく切違、中段腰車、上段外し切、怒切等也。中段にはかたけしなへ、下りしない、丸木橋等のわざ有。相気、気先、鉑相、水月、寒夜霜、心妙劍、來る如くなどといふ伝有り 上記の通り、撃剣叢談には天心流の技法や思想などがいくつか記されており、その一部は天心流の各SNSにおいても公開されている。   「表上段受流し」は、刀法の「峰流剣」、組太刀の「柳雪剣」、抜刀術の「面陰(傘雪剱)」や「峰落」など、様々な形に分かれて伝承されている。 https://www.youtube.com/watch?v=yZG52wgyjNE https://twitter.com/tenshinryu/status/714116810870685696 「切違」は相八相から同時に袈裟に切り下ろす過程で刀を返し、鎬峰にて相手の刀を落としながら切り上げる刀法である。 https://www.facebook.com/tenshinryuhyoho/videos/530727120384594/ 「丸木橋」は、立合抜刀術の九本目である。一本丸太の吊り橋で2人の敵から挟み撃ちされた状況を想定している。 https://twitter.

士林団と葵文(三つ葉葵)

「 「士林団」と天心流の伝承 」の記事にも書かれている通り、「士林団」とは天心流兵法(江戸伝天心流)独自の用語であり、「江戸幕府(徳川幕府)における大目付配下の家臣団の内、諜報・伝令・暗殺を任務とする者達」を指す便宜上の呼称である。 天心流の伝承によると、士林団は任務に際して葵文を使用していた。 葵文は徳川家の家紋であり、享保8年(1723年)に無断使用が禁止された。 しかし、本多家や鳥取池田家のように幕府から許可を得て使用している一族も存在した他、江戸初期においては御用商人の長持などの道具に描かれていた。 そして、士林団は前述の通り「江戸幕府(徳川幕府)における大目付配下の家臣の内、諜報・伝令・暗殺を任務とする者達」であるため、幕臣の公務にあたっては葵文の使用が許されていた。 ただし、あくまで許されるのは組として行動する公務中のみであり、非番時は許されなかったと推測される。 現代日本で例えるなら、警察官が公務中のみ拳銃を携帯出来ることと同じである。 現代においては、例え日本の警察官としての身分にある者でも、非番時に拳銃を携帯することは許されない。 江戸時代における葵文の使用はそれだけ慎重であったが、いずれにせよ現代における葵文の扱いは他の家紋と変わらず、使用にあたって特別な法令も存在しないため、徳川家や本多家などから苦言を呈されない限りで自由に使用することは問題無いのではなかろうか。

天心流と回転納刀

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2020年6月2日、lornplum(@lornplum)先生は天心流兵法(江戸伝天心流)が公開した動画について、「回転納刀は自身が天心流に教えたものであり、解説に誤りがある」と指摘された。 lornplum先生の指摘 https://twitter.com/lornplum/status/1267774636097277952 しかし、天心流が動画内で「回転納刀」と呼んで解説していたものは、元来天心流に伝わっている「廻剣納刀」という納刀法であり、lornplum先生の回転納刀に似てはいるが別物である。 そもそも、天心流が初めて廻剣納刀の動画を公開したのは2016年7月14日のことであり、動画概要欄には以下のような説明が記載されている。 「柳亭風枝師匠が得意とする、刀の回転です。 余技というか遊びの範疇ですが、手の内を作り、手指を鍛えるのに良い稽古法です。 女性の場合は、人差し指と中指の二指で挟むと良いです。」 https://www.youtube.com/watch?v=ThfpbZc2f-0 一方、天心流がlornplum先生から回転納刀を教わったのは2016年11月27日のことであり、天心流が廻剣納刀の動画を公開してから4ヶ月後のことである。 lornplum先生から回転納刀を教わる天心流 https://twitter.com/tenshinryu/status/803035376772222976 武士コン8(2016年11月27日) https://www.youtube.com/watch?v=y0o7d2E5wds 「回転納刀」という名称は元々、lornplum 先生が2010年に動画を公開するにあたって作った造語であるが、技法そのものは同先生によるオリジナルではなく、殺陣界隈で古くから広まっていた納刀法である。 例として、1978年公開の映画「雲霧仁左衛門」(英題『Bandits vs. Samurai Squadron』)にも回転納刀が登場している。 仲代達矢主演・「雲霧仁左衛門」の戦闘シーン https://www.youtube.com/watch?v=kb9iuQ_ez0E lornplum先生自身も回転納刀が古くから存在していることや、自身が名付けた「回転納刀」という名称が一般に広まっていることについては認識されている。   lornp

天心流「蛸の壷抜け」

「蛸の壷抜け」は天心流における秘太刀(隠太刀)であり、無刀取に対する返し技である。 蛸の壷抜け(諱名:根腐太刀) https://twitter.com/tenshinryu/status/840767733172072448 天心流の伝承によると、無刀取りの返し技を開発したのは柳生宗矩である。 加えて天心流の技法は、宗矩が編み出した江戸柳生新陰流を元に流祖・時沢弥兵衛が整理・再編したものであるため、無刀取りの返し技は弥兵衛を含めた歴代継承者によって徐々にブラッシュアップされ、今日に至っていると考えられる。 何故、無刀取りの返し技を考案する必要があったのか。 その理由は無論、柳生新陰流が仮想敵だからである。 例として、同じく新陰流から派生したタイ捨流の流祖である丸目蔵人は、柳生新陰流や示現流に如何にして勝つかを工夫したと言われている。 タイ捨流剣術とは http://taisharyu-kenzhutsu.net/about-taisharyu-kenjutsu つまり、例え新陰流系だとしても、袂を分かった時点で同じ新陰流系の他流派は仮想敵であるため、柳生新陰流の奥義である無刀取りに対抗する技が開発されたとしても不思議ではない。 新陰流から袂を分かって天心流が創始されたことで、仮想敵となった柳生新陰流の無刀取りに対抗する技法を編み出す必要性が出たのである。 とはいえ、江戸柳生新陰流は徳川幕府の御流儀でもあるので、同じ幕府方の流派である天心流が江戸柳生新陰流の修業者と対戦する可能性は低いと考える者もいるだろう。 しかし、当時は既に江戸柳生新陰流も広く一般に普及していたため、幕府に仇なす者達でも江戸柳生新陰流を修業することは出来た上、修業段階が進めば当然無刀取りの習得も可能であった。 そういった江戸柳生新陰流に熟達した敵を相手にする際に、天心流は無刀取りの返し技を有効に活用出来るのである。

天心流の形と演武

天心流兵法(江戸伝天心流)は非常に多くの形を伝承しており、抜刀術と剣術を表芸としている。 天心流の坐法(居合抜刀術)の目録 https://twitter.com/tenshinryu/status/545867536013590528 天心流における大刀の常寸は二尺二寸であり、これは室内の戦闘を想定した長さであるとされている。 大刀の長さとその理由   https://www.youtube.com/watch?v=ZlLPU11Mtxo 短い刀を使用することで、狭い室内や極度に敵と接近した状態でもコンパクトな体捌きで抜刀出来るのである。 また、天心流の抜刀術は形の1つひとつに明(前)、暗(後ろ)、陰(右)、陽(左)などのバリエーションが含まれており、体捌きと抜刀方向によって形の動きが変化する。 間外 暗の陽の陽 https://www.youtube.com/watch?v=C1km29w286A こうした形の数々を天心流は演武で披露しており、靖国神社の例大祭などにおいても奉納演武が行われている。 また、天心流は特に一般向けのイベントなどで演武する際、形を崩して派手な動きを多く取り入れ、よりエンターテイメント性のある演武を披露する傾向にある。 実際、狐宵祭(平成26年11月30日)における天心流の演武の動画には、概要欄に以下の記載がある。 今回の演武は奉納でなく、またコンセプトイベントに於ける剣舞というテーマのため、勢法(型)をかなり崩しております。 (特に抜刀、組太刀において) https://www.youtube.com/watch?v=MDeIWsNelGQ その他、天心流の形は納刀法が定められているか否かで分類することも出来る。 納刀法が定められていない形については、各々が任意の納刀法を選択することが出来、エンターテイメント性の高いカジュアルな演武の場では回転納刀が使用されることもある。 同じ天心流の演武であっても、各イベントにおけるフォーマルとカジュアルの違いを見比べると、より魅力が感じられるだろう。

天心流「虹の太刀架け」

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「虹の太刀架け」は天心流の抜刀術に属する形であり、「肘捻太刀」とも呼ばれる。 Youtubeの動画などにおいては「虹の橋掛け」という表記も見られる。 新陰流においても、刃を相手に向けて迫る技を「橋掛け」と呼称しており、元々は「はしかかり」という神道流の技である。 新陰流の伝承では、流祖である上泉伊勢守が神道流も学んでいたため、「橋掛け」が新陰流に採り入れられたとされており、天心流にも「橋掛け」の技法が存在することは同流派が新陰流分流であり、同じく神道流由来の技を多く含むことの証であるといえる。 虹の太刀架け(肘捻太刀) https://www.youtube.com/shorts/NhdgAyUpBgg 虹の橋架け https://www.youtube.com/watch?v=vEFdvocFfQY 「虹の太刀架け」という名称に関しては、「虹は昔の日本において不吉な象徴であり、形の名称として使用するのは有り得ない」という主張もあるようだが、そもそも昔の日本において虹は吉凶両方の象徴であったため、必ずしも不吉という訳ではない。 実際、中世の日本では虹の見える所に市場を立てていた他、虹が確認された際は陰陽道の天文博士にそれが吉凶どちらの予兆か占わせた。 故に、昔の日本において確かに虹は凶兆の象徴でもあったが、同時に吉兆の象徴でもあり、当時の常識と照らし合わせても形の名称として使うにあたって不自然なことは無い。

天心流「蠍の尾返」

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天心流兵法(江戸伝天心流)の「蠍の尾返 (さそりのおがえし)」は、古伝の坐法(居合抜刀術)に属する形であり、「小尻打ち」とも呼ばれる。 蠍の尾返(小尻打ち) https://twitter.com/tenshinryu/status/920619172786085888 https://www.youtube.com/watch?v=CeI7FwPI5lc 「蠍の尾返」という別名について、一部の者達は「サソリは日本に生息していないのだから、江戸時代の日本人がサソリの存在を知るはずがない」と主張しているが、それは江戸時代の日本における博物学の実態を理解していない者達の妄言である。 確かに、サソリは本来日本本土に生息していない生き物であり、江戸時代にも稀に船来の個体が発見される程度であったので、当時の日本人の多くはサソリの実物を目にする機会がほぼなかったと思われる。 しかし、「和漢三才図会」(1712)をはじめとした同時代の刊行物には、サソリの形態や生態が絵図と共に記載されているものが多く、虎や獅子のように「実物は見たことがないが、文化的知識として姿形や生態を聞いたことがある」という日本人は多かった。 例えば、幕府の医官であり本草学者の栗本丹洲(1759-1834)が1811年に制作した虫類図譜「千蟲譜(栗氏千虫譜)」には、サソリの図説が詳細に記されている。 丹州は自らが捕獲・飼育をした生物を観察して図譜を制作したため、千蟲譜に描かれているサソリの絵図も実物を元にして詳細に描写されている。 波賀野 文子「江戸末期の博物図譜における水族表現 ―奥倉魚仙の描画法と博物画家たち―」京都精華大学 https://www.kyoto-seika.ac.jp/about/research/kt5ohn000000kaso-att/kt5ohn000000kbdw.pdf 栗氏千虫譜 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1287372 その他、サソリが描かれた史料 https://www.jstage.jst.go.jp/article/asjaa1936/8/3/8_3_58/_pdf 実際、日本では古くから嫌われ者の例えに「蛇蝎(だかつ=ヘビとサソリ)」という言葉があり、はるか昔から猛毒生物としてサソリは日本人の間でも知られていた。 蠍/虫の雑

天心流の伝系と仮名(かみょう)

天心流兵法(江戸伝天心流)は、以下の師家達によって代々継承されている。 流祖 時沢弥兵衛 第2世 国富忠左衛門休心 代々 第3世 国富弥左衛門 第4世 国富弥五左衛門 第5世 国富五郎衛門 第6世 石井恒右衛門 第7世 石井辨蔵 第8世 石井清造 第9世 中村天心 第10世 鍬海政雲 第11世 井手柳雪 天心流兵法の由来 https://tenshinryu.net/?page_id=15 フィールドワークのご報告 http://tenshinryu.blog.fc2.com/blog-entry-266.html 歴史について http://tenshinryu.blog.fc2.com/blog-entry-242.html 上記の内、代々同じ名を継いだとされているのが、流祖・時沢弥兵衛、第2世・国富忠左衛門、第6世・石井恒右衛門の3名である。 「3名それぞれが代々同じ名を継ぐなど、偶然だとしてもあり得ない」と主張する者達もいるようだが、そもそも江戸時代以前の日本には一族が同じ名を継ぐ風習があり、当時の常識を基に考えれば自然なことである。 当時の武家の者達は、名字・仮名(かみょう)・諱という3種の名前を各々名乗ることが普通であり、特に仮名は一族の間で代々受け継がれることも多かった。 例えば、伊賀忍者として有名な服部半蔵を擁する服部家は、初代・服部半蔵保長(正種)から12代目・服部半蔵正義までの全員が「半蔵」の仮名を継承していた。 従って、「3名それぞれが代々同じ名を継ぐなど、偶然だとしてもあり得ない」という主張は、江戸時代の風習を理解していない者達の妄言である。 天心流の伝承によると、石井家は大目付・柳生宗矩の配下として代々仕えていたが、7代目の頃に領地の山王原へ帰参したという。 また、石井家の本家は現在13代又は14代目であり、第8世師家の石井清造先生は分家の8代目である。 石井家について https://twitter.com/tenshinryu/status/1327556080293998592 「 国富五郎衛門に関する諸説 」の記事にも書かれている通り、天心流が石井家に伝わった時期は先祖・石井新右衛門の頃、すなわち石井家が宗矩に仕えていた頃である。 その後、石井恒右衛門は国富五郎衛門に弟子入りして天心流の印可を賜った後、浪中刀を奥義とした「天心一刀流

彰義隊と士林団

天心流兵法(江戸伝天心流)の伝承によると、彰義隊には「士林団の子孫」が参加していた。 「士林団の子孫」とは、「士林団の一員だった者を先祖に持つ御家人」のことであり、士林団そのものが彰義隊に参加した訳では無い。 「 「士林団」と天心流の伝承 」の記事にも書かれている通り、「士林団」とは天心流の伝承において、「江戸幕府(徳川幕府)における大目付配下の家臣団の内、諜報・伝令・暗殺を任務とする者達」のことである。 歴史書や史料にはその名が見られないが、「江戸幕府(徳川幕府)における大目付配下の家臣団の内、諜報・伝令・暗殺を任務とする者達」を指す便宜上の呼称としては大変便利な用語である。 天心流の伝承によると、士林団は時代と共に役目が縮小され、8代将軍・徳川吉宗の頃に完全解体された。 これは、吉宗の代に大目付の職掌が大きく縮小され、「諸大名の監察」というそれまでの役割から伝令と儀礼のみを担当する名誉職のようなものに変わり、新たな諜報・監察機関として御庭番が設けられたという歴史学的通説と一致している。 さらに天心流の伝承によると、士林団の解体後、その構成員達は御家人となったとされている。 士林団解体後の逸話 https://twitter.com/tenshinryu/status/579781550247583744 https://twitter.com/tenshinryu/status/579264871700664320 https://tenshinryu.net/?p=273 御家人とは、知行が1万石未満の徳川将軍家の直参家臣団の内、御目見未満(将軍が直接会わない)の家格に位置付けられた者である。 御家人の先祖達は江戸幕府において様々な職務に従事していたとみられ、中には「江戸幕府(徳川幕府)における大目付配下の家臣団の内、諜報・伝令・暗殺を任務とする者」を先祖に持つ御家人も存在したであろう。 この「江戸幕府(徳川幕府)における大目付配下の家臣団の内、諜報・伝令・暗殺を任務とする者達」の子孫こそが、天心流の伝承における「士林団の子孫」である。 通説によると、彰義隊は最盛期には約3000~4000人の規模にまで膨らみ、上野戦争やその後の敗走によって戦死した者達の数や詳細も諸説あり、不明な点が多い。 しかし、彰義隊には様々な出自の御家人達が加入していたとみられ、天心流の

「士林団」と天心流の伝承

天心流兵法(江戸伝天心流)の伝承によると、「士林団」とは「江戸幕府(徳川幕府)における大目付配下の家臣団の内、諜報・伝令・暗殺を任務とする者達」である。 天心流の伝承では、「士林団」の他にも「士林組」及び「光願」という呼称も使われており、全て天心流が「江戸幕府(徳川幕府)における大目付配下の家臣の内、諜報・伝令・暗殺を任務とする者達」を指す際に使用する名称である。 これら3種の名称は江戸時代の史料に見られないため、大目付配下の家臣団の一部を指すにあたって後世に名付けられた通称であると考えられる。 歴史学において、本来正式名称が存在しない事物に便宜上の呼称を名付け、歴史用語として使用することは珍しいことではない。 例えば、江戸時代に大名が支配する領域を指す「藩」という歴史用語は、当時の江戸幕府における公的な制度名ではなかった。 「藩」という呼称は、新井白石の「藩翰譜」や「徳川実紀」など元禄年間以降のごく一部の史料に散見される程度であり、公称として一般に広く使用されるようになったのは明治時代以降のことである。 また、織田信長の正室は「濃姫」という呼称で一般に知られているが、この「濃姫」という呼称も戦国時代~安土桃山時代当時の正式な本名ではない。 濃姫の正式な本名は現在でも不明であり、文献によって「帰蝶」や「胡蝶」などの様々な便宜上の名称が使用されている。 これらの名前は全て後世に付けられたものであり、濃姫の正式な本名はどの文献にも存在していない。 他にも、戊辰戦争における倒幕派の官軍が、後に歴史用語として「新政府軍」と称されたことも同様の事例である。 こうした歴史用語の事例を鑑みると、「士林団」という名前も歴代の天心流継承者やその関係者によって後付けされたものであると考えられる。 ちなみに、「士林」という言葉自体は江戸時代から使われている一般名詞であり、延享4年(1747年)に作成された尾張藩士達の系図資料「士林泝洄」にもその言葉が使われている通り、当時の日本では常識的に使われていた言葉である。 既に一部の武術家や歴史研究家から指摘がある通り、「士林団」、「士林組」及び「光願」という組織名は江戸時代の史料に記載が見られず、当時の江戸幕府で公式に使われていた正式名称ではないと考えられる。 しかし、実際に歴代の天心流継承者が「江戸幕府(徳川幕府)における大目付配下の家臣団の

宝蔵院分流陰派槍術

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天心流兵法(江戸伝天心流)には外物として宝蔵院分流(支流)陰派槍術が併伝されており、素槍術や十文字術、薙刀術が伝承されている。 宝蔵院分流陰派槍術 https://www.youtube.com/watch?v=YJu_s-2sMb4 https://www.youtube.com/watch?v=aP9sxK9rxHk https://twitter.com/tenshinryu/status/1173972622431813633 https://twitter.com/tenshinryu/status/638378033653542912 https://twitter.com/tenshinryu/status/688098960150429696 https://www.youtube.com/watch?v=PyCGMzyRSBg 天心流の伝承によると、宝蔵院分流陰派槍術は柳生但馬守宗厳(石舟斎)が上泉伊勢守や覚禅坊胤栄との交流によって習得し、宗矩・時沢弥兵衛へ伝わった技法であるとされる。 宝蔵院分流陰派槍術 - 天心流 第十世師家ブログ http://tenshinryuhyoho.blog.fc2.com/blog-entry-449.html 第10世師家の鍬海先生は宝蔵院分流陰派槍術について、「時沢弥兵衛が柳生宗矩から学んだ槍術を宝蔵院流に仮託して名付けたか、あるいはさらに後世の仮託の可能性もある」と推察されており、確かに流派名には「分流」や「支流」という言葉が入っていることから、「宝蔵院流そのものではなく、あくまで宝蔵院流から派生した『陰派』槍術である」というニュアンスが読み取れる。 鍬海先生の推察 http://tenshinryuhyoho.blog.fc2.com/blog-entry-456.html 実際、宝蔵院分流陰派槍術はそれ自体が1つの流派として伝承されている訳ではなく、あくまで「天心流の外物」として内伝されており、宝蔵院流そのものとは明確に区別されている。 とはいえ、「宝蔵院分流」という修飾語が付いている以上、天心流の外物としての陰派槍術が技法的に宝蔵院流と全く無関係なはずは無い。 では、宝蔵院分流陰派槍術と宝蔵院流の間には、どれほど技法の共通点があるのか。 天心流の外物としての宝蔵院分流陰派槍術では、天心流の抜刀術や剣術の

襷掛けに関する国際水月塾武術協会の主張

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国際水月塾武術協会は襷掛けに関して以下のように主張している。 「普通見られるような口で端をくわえておいて掛ける方法は「女中掛け」、あるいは単に「女掛け」と言って、武士の間では嫌われた。 今、そのような作法が武道においては誤りであることを知る者も少なく、武道人でも平気で女中掛けをしている。 武家には武家の 「男掛け(侍掛け)」 がある。 武道において身につけるものを口にくわえるなどの無作法は言語道断である。」 https://japanbujut.exblog.jp/29186745/ しかし、過去の記事や写真を見ると、国際水月塾武術協会の演武者も「女中掛け」をしており、「女中掛けは武道における誤った作法である」という国際水月塾武術協会の主張そのものが誤りであることがわかる。 襷を「女中掛け」する国際水月塾武術協会の演武者 https://japanbujut.exblog.jp/27288220/ https://japanbujut.exblog.jp/29431527/ https://japanbujut.exblog.jp/29407753/ https://japanbujut.exblog.jp/28752142/ https://japanbujut.exblog.jp/28297131/ このように、国際水月塾武術協会の男性演武者は皆襷を「女中掛け」しており、「男掛け(侍掛け)」などしている者は1人もいないのである。 そもそも、国際水月塾武術協会が「女中掛け」と呼ぶ襷の掛け方には「綾襷(あやだすき)」という正式名称があり、東京国立博物館に所蔵されている重要文化財「腰掛ける巫女」という埴輪にも見られる通り、古代から老若男女を問わず様々な階級の人々が綾襷をしていた。 重要文化財「腰掛ける巫女」 https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Seated_Woman_Haniwa.JPG 無論、綾襷を「女中掛け」などと呼称しているのは国際水月塾武術協会だけであり、上述の通り綾襷は女中だけが行う作法ではない。 実際、かつての侍達も当たり前のように綾襷をしていたことが当時の絵図にも描かれており、「武士の間で嫌われた作法である」という国際水月塾武術協会の主張は誤りである。 鹿児島暴徒出陣図(1879年) https://comm

国富五郎衛門に関する諸説

天心流兵法(江戸伝天心流)の第5世師家・国富五郎衛門は、未だにその詳細な経歴が明らかとなっていない。 元・国際水月塾武術協会姫路支部(現在は脱退)である古武術保存会「月輪堂」は、かつて国富家の家譜を調査し、五郎衛門の名を見つけることが出来なかったため、その存在を否定した。 しかし、現存する家譜に名前が見つからなかったからといって断言的に存在を否定することは、歴史学的調査における常識に則しても非常にナンセンスである。 実際、五郎衛門の存在を否定した月輪堂は、誤りを認めて自らの主張を撤回し、公式ブログにて以下のように釈明している。 「別に他所から圧力がかかって前回の記事の公開を止めた訳ではありません。 単純にちょっとキツい事を書きすぎたと反省したからです。 振り替えってもやはり私は冷静ではなかった。 人様にあんな風にあれやこれや言えるような立派な人間でもないし、前回の記事は、優しさのない配慮にかけたものだったと、反省したから公開を止めた訳です。 ただ、それだけの理由です。」 http://itidensai.blog.fc2.com/blog-entry-567.html そもそも、国富家の家譜の中には何らかの理由で失われたものも多く、現存している家譜だけが歴史上における国富家の家譜の全てでは無い。 従って、失われた家譜の内容を調査しなければ五郎衛門の存在に関する正確な推察は出来ない上、仮に失われた家譜の中に五郎衛門の名が無かったとしても、口伝によってその存在が語られている以上、別の名前を持つ人物が該当する可能性も考慮しなければならない。 現在、国富五郎衛門の経歴に関しては、研究者達によって以下の3説が唱えられている。 1.「五郎衛門は国富家の者である」  国富家の男子は、それぞれ多種多様な仮名(かみょう)を持っている。例えば、備中国・都宇郡早島村の国富家は、以下のようにそれぞれの代が異なる仮名を使用していた。 初代 源右衛門 第2代 忠右衛門 第3代 源順 第4代 順庵 第5代 九郎祐(享保9 室間野氏) 第6代 小八郎(安永7 室武槍氏) 第7代 藤九郎(文化7 室片岡氏) 第8代 弁之助(文政6 室田中氏) 第9代 万蔵(天保10 室寺山氏) 第10代 鹿之助(明治9 室武槍氏) 第11代 竹次郎(大正13 室武槍氏) 第12代 小八郎(昭和11 室堀井氏) 第1

天心流の居合刀

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天心流兵法に批判的な者達は「同流が使用している模造刀はアルミ刀ではないか」と主張しているようだが、天心流は組居合や組太刀に際して相当激しく刀を打ち合っており、こうした稽古や演武はアルミ刀やジュラルミン刀のような軽量で壊れやすい模造刀では不可能である。 実際、殺陣を行う役者達が「被り」をせずに刃合わせをする際は、模造刀や竹光に掛かる負担を最小限に抑えるために打ち合う寸前で一瞬手を止め、刃同士が触れ合う程度の非常に軽い力で受けや鍔迫り合いを行っているため、派手な動きに比して刀の打ち合い自体に激しい力は掛かっていないのである。 私も芝居の小道具として使われているアルミ刀やジュラルミン刀をいくつか振ったり、実際に組太刀形式で他者と打ち合ったりしてみたが、強く打ち合うと簡単に壊れてしまうばかりか、そもそも激しく振ったり軽く打ち合うだけでも破損してしまうので、役者達がアルミ刀やジュラルミン刀を日頃から慎重に扱う理由がよくわかる。 また、天心流では転柄血振りが多用されるため、刀の接合部から金属音が鳴ることがよくあるが、居合刀は亜鉛合金や真鍮などの比重の重い金属パーツが使用されているため、アルミ刀やジュラルミン刀のような軽い金属パーツが使用されているものと比べて金属音に違いがある。 実際に各流派の転柄血振りを比較すると、天心流が通常使用している大刀は他流派でも使われている居合刀と同じであるとわかる。 天心流・ジュラルミン製の三尺刀 https://www.youtube.com/watch?v=eWmkbzImrFQ 天心流・居合刀 https://www.youtube.com/watch?v=d0cPiqnSAdE 天真正伝香取神道流・居合刀 https://www.youtube.com/watch?v=QMuzRXzSW8o https://www.youtube.com/watch?v=W4QeNbI7srI https://www.youtube.com/watch?v=wdK2roz4I_s 新陰流判官派・居合刀 https://www.youtube.com/watch?v=JQo4IERQkac https://www.youtube.com/watch?v=J7a_xt2-8cY 天心流・第10世師家の鍬海先生は、各々に合った居合刀を自ら選ぶよう門人達に推奨して

武道・武術・格闘技が想定する攻撃

世界各地の武道・武術・格闘技には、流派によって様々な技が存在する。 空手の正拳突きや合気道の手刀など、流派を代表するような技の数々も存在し、武道や武術、格闘技の経験が無い素人の一部は「そんな攻撃を誰が実戦でするのか」と疑問を抱いているようであるが、そもそも彼ら素人が考える実戦とは何なのであろうか。 正拳突きや手刀が使われないと考えているのであれば、やはり武道や武術、格闘技の経験が無い素人を仮想敵とした実戦という答えになるだろうが、果たして真の実戦では必ず素人だけが仮想敵だと言えるのであろうか。 否、護身などのルールの無い実戦においても、相手が何らかの武道・武術・格闘技の経験者であることは多く、そうした技への対処も想定しておかなければ実戦的とは言えない。 同時に、正拳突きや手刀打ちなどの武道・武術・格闘技特有の技は、「そんな攻撃を誰が実戦でするのか」という敵の素人的思い込みを逆手に取り、相手の虚を突いて戦いを有利に進めることが出来る。 実戦では相手の虚を突くことが重要であり、相手が想像もしていないような攻撃をすることが最も有効である。 まさか、自分の喧嘩相手が合気道や古武術などに見られるような手刀を打ち込んでくるとは思わないだろう。 しかし、その思い込みこそが実戦では命取りなのである。 かつて私が少林寺拳法をしていた頃、とある大学の少林寺拳法部の指導者である五段の先生と空撃乱捕りをさせていただいたことがあったが、私は先生から手刀打ちを食らって大変驚いた経験がある。 少林寺拳法の乱捕りにおいてメインとなる攻撃手段の1つは直突きである。 空撃乱捕りの場合は振り突きや鈎突きなども使われることが多いが、いずれにせよ他流の武道や格闘技でもよく見られる、いわゆる「パンチ」である。 従って、乱捕りの際もパンチは警戒しているので防御することが出来るのだが、まさか手刀打ちをされるとは思っていなかったので、私は全く反応出来ずに食らってしまったのである。 もしこれが乱捕りではなく本気の喧嘩であったならば、私は件の先生から手刀を脳天へ打ち込まれ、その場に昏倒していたことだろう。 こうして、実戦では相手の裏をかき、虚を突くことが重要ということで、私は先生から実戦における手刀の有効性を学んだのである。 格闘技を練習している者達の多くは、規則のある試合であろうとルール無用の素手の喧嘩であろうと、あ

正拳突きにおける腰の使い方

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沖縄空手(琉球空手)やフルコンタクト空手においては、下記動画の宮里信光先生のように相手の体を打ち抜くことを意識して正拳突きの練習をすることが常である。 宮里信光先生の正拳突き(7分44秒から) https://www.youtube.com/watch?v=S-YTMBbx7AM 他方、全空連(全日本空手道連盟)をはじめとした伝統派空手の一部は、突く方向とは反対へ僅かに腰を切る体の使い方がよく見受けられる。 例えば、右正拳逆突きを打つ際は、左腰を切る力で正拳を前へ送り出し、腕が完全に伸びきった瞬間に右腰を僅かに切ることで、体をやや正面に戻すといった具合である。 こうした体の使い方について、一部の門外漢は「そんなものは実戦で使えないエセ武道の技術だ」「しっかり打ち抜かなければ相手に効かないので意味が無い」と主張しているが、彼らはその理由をまるで理解していない。 なぜ、伝統派空手の一部では正拳突きの際に反対へ腰を切るのか。 それは、組手に必要な当て止めをするためである。 当て止めは、あらゆる武道・武術・格闘技の練習や試合などに見られるもので、「練習や競技の安全性を高めるため」という重要な理由のもと、様々なやり方が存在する。 例えば、少林寺拳法の法形練習においては、相手に直突きが当たる瞬間に素早く拳を引くことで当て止めを行う。 大抵の場合は腕を伸ばしきらずに途中で拳を引くことで、結果として打ち抜かない練習法となっている。 また、ボクシングやキックボクシング、サバット、ムエタイ、総合格闘技などにおいても、2人一組で技の練習やライトスパーリングをする際に相手を打ち抜かないよう力をコントロールすることで、互いに怪我を負わないよう当て止めをする。 空手の正拳突きは腕を伸ばしきった際に最大の威力が出るため、その正しいフォームを体得するためには、腕を伸ばしきらずに途中で引くといった当て止めのやり方は練習にそぐわない。 従って、腕を伸ばしきるフォームはそのままに、かつスピードも落とさずに安全性にも配慮するための当て止めのやり方が必要である。 そのために行われている当て止め法が、「突きの際に反対へ腰を切る」というやり方である。 これならば、腕を伸ばしきるという正拳突きの正しいフォームとスピードはそのままに、安全性にも配慮することが出来るのである。 そもそも、この当て止め法は実戦で使うもの

武道・武術の形(型)は実戦で使えるのか

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「空手の形競技で活躍している選手達は、組手競技で活躍出来ていない」と主張する者達が一部いるが、全空連等が主催する大会で形競技に出場している選手達のほとんどは、そもそも組手競技に出場していない。 しかし、全空連所属選手の例で言うと、オリンピック空手競技・男子形種目の金メダリストである喜友名諒選手は、大学時代に形と組手両種目に出場していたことがあり、組手においてもかなりの実力を発揮している。 大学時代の喜友名選手が出場した組手団体戦 https://www.youtube.com/watch?v=E7ZvMR3Cg44 また、喜友名選手は形種目専門の選手となった現在でも組手を練習に取り入れており、形の演武で見られるような柔らかな動きを組手においても実現している。 喜友名選手の組手練習 https://www.youtube.com/watch?v=hK7xgZwLfzA 松濤館流の日本空手協会主催の大会では、椎名勝利先生や栗原一晃先生が現役選手時代に形と組手両種目に同時出場しており、どちらにおいても入賞の常連であった。 また、同じく日本空手協会所属の中達也先生は、現役選手時代こそ組手専門であったが、引退後は形稽古にも力を入れているおかげか、現役時代と変わらぬ動き、あるいはそれ以上に身体的にも戦術的にも良い動きを実現している。 現役選手時代の中先生の組手 https://www.youtube.com/watch?v=ivbCie8XTbw 現在の中先生の組手 https://www.youtube.com/watch?v=y0UQ_g8M-Vc https://www.youtube.com/watch?v=wfjKidVaSms 中先生は現役を引退されて久しく、年齢を重ねられているにも関わらず衰えが見えないのは、引退後に形稽古によって筋骨を維持し、体の使い方により磨きをかけているからであろう。 少林寺流空手道錬心舘の大会においても、型種目の上位入賞者が組手種目においても優秀な成績を上げる傾向が多い。 伝統派空手やフルコンタクト空手の修業者達の中には、基本と組手の練習のみ行う者も多いが、そもそも基本とは形から抽出した技を一つひとつ練習しているに過ぎず、そうした技を身に付けて組手をしている限りは「形で学んだ動きを組手に生かしている」と言わざるを得ない。 「形に含まれる全て