武術史の調査法
日本の古武術や沖縄空手の歴史を調査するにあたり、最も重要な根拠は流派の伝承である。
伝承は「目録」や「口伝書」といった物的史料の形で残されている場合もあるが、それらに記された情報は伝承全体におけるほんのごく一部でしかなく、大半は師匠から弟子へと代々受け継がれる「口伝」という実体の無い形でしか残らない。
そのため、武術史の調査をする際は、生きている継承者が公開する情報を頼りに歴史の通説と照らし合わせたり、流派に縁のある場所をフィールドワークする他無く、通常の歴史学のように膨大な物的史料を元に現実的な説を導きだすことは非常に困難である。
例として、天心流兵法(江戸伝天心流)は歴代師家からの口伝を頼りにフィールドワークを行っているが、やはり天心流も他の古武術流派の例に漏れず、伝承の大部分を口伝でしか継承していないため、物的史料はあまり発見されていない。
フィールドワークのご報告
http://tenshinryu.blog.fc2.com/blog-entry-266.html
しかし、物的史料が見つからないからといって、即座にその流派の歴史を否定することは早計である。
何故なら、前述の通り日本の古武術や沖縄空手の伝承は大半を口伝に頼っているため、そもそも物的史料が発見されること自体が奇跡だからである。
現代では書籍の流通やインターネットによる情報公開も昔よりは手軽に行えるようになったため、比較的大規模な流派では各々の伝承を記した書籍を制作したり、ネット上で伝承の一部を公開することがある。
しかし、一般に公開されたそれらの伝承も、結局は師匠から弟子へと口伝によって継承されてきたものがほとんどであり、物的史料を根拠とした情報は全体の割合からするとかなり低い。
武術の伝承とは宗教における神話のようなもので、通常の歴史学のように膨大な物的史料を基に真実へ迫ることはほぼ不可能である。
また、仮に物的史料が見つかったとしても、そもそも史料というものは偽造が可能であり、真贋を見分けることは非常に困難である。
故に、通常の歴史学においても、どれだけ多くの史料に基づいて真実を追求したとしても、それは諸説の1つとしかみなされず、相対的に有力であったとしてもせいぜい「通説」止まりである。
伝承は「目録」や「口伝書」といった物的史料の形で残されている場合もあるが、それらに記された情報は伝承全体におけるほんのごく一部でしかなく、大半は師匠から弟子へと代々受け継がれる「口伝」という実体の無い形でしか残らない。
そのため、武術史の調査をする際は、生きている継承者が公開する情報を頼りに歴史の通説と照らし合わせたり、流派に縁のある場所をフィールドワークする他無く、通常の歴史学のように膨大な物的史料を元に現実的な説を導きだすことは非常に困難である。
例として、天心流兵法(江戸伝天心流)は歴代師家からの口伝を頼りにフィールドワークを行っているが、やはり天心流も他の古武術流派の例に漏れず、伝承の大部分を口伝でしか継承していないため、物的史料はあまり発見されていない。
フィールドワークのご報告
http://tenshinryu.blog.fc2.com/blog-entry-266.html
しかし、物的史料が見つからないからといって、即座にその流派の歴史を否定することは早計である。
何故なら、前述の通り日本の古武術や沖縄空手の伝承は大半を口伝に頼っているため、そもそも物的史料が発見されること自体が奇跡だからである。
現代では書籍の流通やインターネットによる情報公開も昔よりは手軽に行えるようになったため、比較的大規模な流派では各々の伝承を記した書籍を制作したり、ネット上で伝承の一部を公開することがある。
しかし、一般に公開されたそれらの伝承も、結局は師匠から弟子へと口伝によって継承されてきたものがほとんどであり、物的史料を根拠とした情報は全体の割合からするとかなり低い。
武術の伝承とは宗教における神話のようなもので、通常の歴史学のように膨大な物的史料を基に真実へ迫ることはほぼ不可能である。
また、仮に物的史料が見つかったとしても、そもそも史料というものは偽造が可能であり、真贋を見分けることは非常に困難である。
故に、通常の歴史学においても、どれだけ多くの史料に基づいて真実を追求したとしても、それは諸説の1つとしかみなされず、相対的に有力であったとしてもせいぜい「通説」止まりである。
実際、憲政史家の倉山満氏は歴史学の研究における心構えについて次のように述べている。
「本当の事は「わからない」に向き合う態度が必要なのではないか、と言っているだけです。これは日本古代史だけではなく、すべての歴史学者のあるべき態度でしょうし、歴史学以外のいろんなことでも大事な心構えだと思っています。」
https://news.yahoo.co.jp/articles/8ce12d79a9f8bb3dd6bc9b9a5b660df19c68c888?page=4
とはいえ、それでも武術史を調査するメリットは確かにあり、数少ない物的史料の発見といった奇跡はもちろん、歴史の通説との照らし合わせやフィールドワークによって、それまで既存の解釈しか無かった伝承に新たな発見を見出すことが出来る。
各々の流派を学ぶ上で壁にぶつかった際は、そうした伝承の調査によって突破口が開けることもあるかもしれない。
「本当の事は「わからない」に向き合う態度が必要なのではないか、と言っているだけです。これは日本古代史だけではなく、すべての歴史学者のあるべき態度でしょうし、歴史学以外のいろんなことでも大事な心構えだと思っています。」
https://news.yahoo.co.jp/articles/8ce12d79a9f8bb3dd6bc9b9a5b660df19c68c888?page=4
従って、武術史を含めたあらゆる歴史学においては、現代を生きる我々がどれほど研究や調査を重ねようとも真実へたどり着くことはなく、得る答えはあくまで「説」という可能性の話でしかないことを肝に銘じなければならない。
とはいえ、それでも武術史を調査するメリットは確かにあり、数少ない物的史料の発見といった奇跡はもちろん、歴史の通説との照らし合わせやフィールドワークによって、それまで既存の解釈しか無かった伝承に新たな発見を見出すことが出来る。
各々の流派を学ぶ上で壁にぶつかった際は、そうした伝承の調査によって突破口が開けることもあるかもしれない。
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