日本の古武術(古武道)における流祖

流祖とは本来「その流派を創始した人物」を意味する言葉であるが、日本の古武術においては必ずしもそうとは限らない。

例えば、江戸伝柳生心眼流(柳生心眼流體術)の開祖は荒木又右衛門とされているが、同流派の宗家として日本古武道協会に加盟している荒木堂は、公式サイトにて次のように語っている。


「伝書等の史料を学術的に追求すれば、柳生心眼流體術の流祖として荒木又右衛門は無理があることは事実です。何時、誰が流祖を荒木又右衛門としたか、明確ではありませんが、当流の実質的な流祖である小山左門が、神様・仏様と言う意味合いで柳生十兵衛、荒木又右衛門を据えたと言う説もあります。しかしながら、仮にその説を採るとしても、当流を伝承する者として、また、当流を学ぶ者としては純粋に学術的な研究と併せて、実質的な流祖小山左門が何を理想とし、何を想って柳生十兵衛,荒木又右衛門を据えたかを考えなければならない。おそらく、その人間性、至った境地等々を己の目標として、また自分がその真の継承者であるとの自負から流祖、法祖として据えたに違いないと思います。そうしたことを勘案すれば、小山左門が柳生十兵衛、荒木又右衛門から直接的に指導を受けたと言う事実が無かったとしても、精神面も含めて考えれば、当流ではあくまでも法祖は柳生十兵衛、流祖は荒木又右衛門なのです。さらに付け加えるならば、柳生十兵衛、荒木又右衛門共に流儀で言えば新陰流です。流祖・法祖として二人を据えたということは、求めるものとして新陰流を据えたと言うことであるといえます。」

流祖についての考察 荒木堂
https://arakido.wixsite.com/arakido/gaiyou


つまり、「江戸伝柳生心眼流を創始した」という意味での実質的な流祖は小山左門であるが、その小山左門にとって荒木又右衛門や柳生十兵衛は武術的・精神的模範であるため、江戸伝柳生心眼流では荒木又右衛門を流祖、柳生十兵衛を法祖とし、実質的な流祖である小山左門はあくまで同流派の二代目とされている。

また、一刀流各派においても流祖は伊藤一刀斎とされているが、そもそも一刀斎自身は自らの流派を「一刀流」と名乗ったことが一度も無い。

「一刀流」と最初に名乗り始めたのは、同流派の二代目である小野忠明であり、「流派を創始した人物」としての実質的な流祖は小野忠明と言えるが、しかし一刀流各派では小野忠明を流祖とはせず、あくまで二代目として扱う点で共通している。

何故なら、これもやはり江戸伝柳生心眼流のケースと同様に、小野忠明を含めた歴代の一刀流継承者達にとって、武術的・精神的模範は伊藤一刀斎だからである。

故に、例え小野忠明が実質的な流祖であったとしても、一刀流各派における真の流祖が伊藤一刀斎であることは揺るぎ無い事実なのである。

以上のようなケースが日本の古武術には多々あるため、例え歴史学的に見てその流派と流祖に繋がりが無かったとしても、即座に「捏造流派」のレッテルを貼るべきではない。

武術史の調査法」の記事でも述べた通り、実際の歴史と武術の伝承はそれぞれ別物として扱わなければならない。

故に、例え歴史学者といえども流派の伝承を歴史学に基づいて批判することはナンセンスであり、ましてや他流派の武術家や素人であるならば、門外漢として自らの立場をわきまえ、各流派の伝承を否定するべきではないだろう。

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