日南葵はなぜ嫌われるのか ~「弱キャラ友崎くん」第1話より~
「弱キャラ友崎くん」のアニメ第1話をニコニコ動画で視聴していると目に付くのは、ヒロインに対するヘイト的なコメントである。
特に、主人公の友崎文也と口論する場面ではそれが顕著で、むしろ視聴者が文也に感情移入し、同情するようなコメントも多く見られる。
なぜ、葵は視聴者に嫌われるのか。
特に、主人公の友崎文也と口論する場面ではそれが顕著で、むしろ視聴者が文也に感情移入し、同情するようなコメントも多く見られる。
なぜ、葵は視聴者に嫌われるのか。
そもそも我々視聴者は、この作品で定義付けられている「リア充」的な生き方に微塵も興味が無い。
それは、我々が既にリア充とは違った幸福な人生観を既に見つけているからであり、リア充になる必要が無いからである。
故に、文也に対して「うだつのあがらないやつ」「ゴミみたいな人間」と辛辣な言葉をぶつける葵は、我々視聴者からすると排他的なリア充至上主義者に見えてしまい、最悪な印象を抱いてしまうのである。
実際、葵は「リア充以外の生き方はナンセンス」という旨の発言が多いので、自分とは違う人生観を持つ他者に対して大変失礼な言動をしてるといえる。
果たして葵の言う通り、リア充以外の生き方はうだつの上がらないゴミのような人生なのだろうか。
故に、文也に対して「うだつのあがらないやつ」「ゴミみたいな人間」と辛辣な言葉をぶつける葵は、我々視聴者からすると排他的なリア充至上主義者に見えてしまい、最悪な印象を抱いてしまうのである。
実際、葵は「リア充以外の生き方はナンセンス」という旨の発言が多いので、自分とは違う人生観を持つ他者に対して大変失礼な言動をしてるといえる。
果たして葵の言う通り、リア充以外の生き方はうだつの上がらないゴミのような人生なのだろうか。
断じてそんなことは無い。
友人やパートナーとの関係に悩んだ挙げ句不幸な人生を送る羽目になってしまう者は古今東西に存在するし、逆にパートナーや友人を作らずとも幸福な人生を送る者達もまた多く存在する。
事実、原作者の屋久ユウキ氏ですら「当然“リア充”だけが正解では絶対ない」とツイッターで述べている。
https://twitter.com/Yaku_yuki/status/1347832845834731520
また、仮に友崎家が身なりに十分な金銭を掛けられないような経済的状況に置かれている場合、友崎家の経済事情を知らない葵がそれを考慮せずに文也の身なりを酷評していることも無礼な振る舞いであると言わざるを得ない。
事実、原作者の屋久ユウキ氏ですら「当然“リア充”だけが正解では絶対ない」とツイッターで述べている。
https://twitter.com/Yaku_yuki/status/1347832845834731520
本心からリア充になりたくて努力をするのは勝手かもしれないが、誰でもリア充になれば幸福になれる訳ではない。
例えば、私の価値観を基準とすると、葵の人生は決して幸福とは言えないし、幸福になるための努力も出来ていない。
例えば、私の価値観を基準とすると、葵の人生は決して幸福とは言えないし、幸福になるための努力も出来ていない。
なぜなら、葵は武術の鍛練や歴史学の研究など、私の人生において最優先にするべき努力を全くしていないからである。
私の価値基準において、成すべきことを成せないくせに勉強や部活などの高校生活を呑気に満喫し、プロゲーマーを目指すわけでもないのにゲームにかまけて貴重な時間を浪費するなど、それこそ「ゴミみたいな人間」の人生である。他者が葵のような人生を送るなら良いが、私自身はそのようなリア充人生を送りたいとは決して思わない。
しかし葵がそのような人生を送っているからといって、私が彼女の人生観に対して口出し出来る資格は無い。
しかし葵がそのような人生を送っているからといって、私が彼女の人生観に対して口出し出来る資格は無い。
なぜなら葵の人生は私のものではないし、葵の価値観は私のそれとは全く異なるからである。
どのような理由があれ、他者の人生に勝手に口出しして良いはずは無い。
しかし、葵はそのタブーを文也に対して犯してしまった。彼女は能力こそ高いかもしれないが、他者に対する配慮がまるで足りていない。
また、仮に友崎家が身なりに十分な金銭を掛けられないような経済的状況に置かれている場合、友崎家の経済事情を知らない葵がそれを考慮せずに文也の身なりを酷評していることも無礼な振る舞いであると言わざるを得ない。
要するに、葵は見た目こそ美女だが心が美しくないのである。
と、ここまで私は散々に葵の人格を否定してきた訳だが、我々が葵を嫌っているからといって、彼女がこの物語に不要な存在であるという訳ではない。
と、ここまで私は散々に葵の人格を否定してきた訳だが、我々が葵を嫌っているからといって、彼女がこの物語に不要な存在であるという訳ではない。
むしろ、葵はこの物語を面白く展開させていく上で必要不可欠な存在である。
視聴者を主人公に感情移入させるために、あえてヘイトの集まりやすいキャラクターを登場させることは、他の作品でもよく見られる古典的な手法である。
視聴者を主人公に感情移入させるために、あえてヘイトの集まりやすいキャラクターを登場させることは、他の作品でもよく見られる古典的な手法である。
そして、葵はこの作品において「視聴者のヘイトを引き受ける」という重要な役割を果たしているのである。
さらに、葵は文也をサポートするバッファーとしても重要な存在である。
さらに、葵は文也をサポートするバッファーとしても重要な存在である。
実は、文也の人生観は視聴者のそれとは異なる。
前述の通り、我々視聴者はリア充的な人生観に全く興味が無いが、文也は自分の容姿を理由にリア充的な生き方を諦めているだけで、「本当は自分もリア充になりたい」と思っているのである。
そして、結果論となってしまう点は否めないが、文也に対して葵が辛辣な言葉を浴びせたことで、文也は発破をかけられた形となり、彼が心の奥底に仕舞い込んでいた「リア充になりたい」という気持ちと向き合えるようになったのである。
だからこそ、葵の言葉は我々視聴者の心には何も響かないが、対照的に文也の心には響いたことで物語が動き出した。
従って、文也に感情移入する際は、前述の通り彼と我々視聴者の間にある人生観の違いを理解しなければならない。
そして、結果論となってしまう点は否めないが、文也に対して葵が辛辣な言葉を浴びせたことで、文也は発破をかけられた形となり、彼が心の奥底に仕舞い込んでいた「リア充になりたい」という気持ちと向き合えるようになったのである。
だからこそ、葵の言葉は我々視聴者の心には何も響かないが、対照的に文也の心には響いたことで物語が動き出した。
従って、文也に感情移入する際は、前述の通り彼と我々視聴者の間にある人生観の違いを理解しなければならない。
いくら葵がヘイト役のキャラクターであるとはいえ、文也が我々視聴者と同じ人生観を持っていると勘違いしたまま、葵にヘイトを向けるのでは筋が通らない。
我々視聴者にとって無礼なものであったとしても、文也にとって葵の言動は自らをエンゲージしてくれる「バフ」なのである。
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