彰義隊と士林団

天心流兵法(江戸伝天心流)の伝承によると、彰義隊には「士林団の子孫」が参加していた。

「士林団の子孫」とは、「士林団の一員だった者を先祖に持つ御家人」のことであり、士林団そのものが彰義隊に参加した訳では無い。

「士林団」と天心流の伝承」の記事にも書かれている通り、「士林団」とは天心流の伝承において、「江戸幕府(徳川幕府)における大目付配下の家臣団の内、諜報・伝令・暗殺を任務とする者達」のことである。

歴史書や史料にはその名が見られないが、「江戸幕府(徳川幕府)における大目付配下の家臣団の内、諜報・伝令・暗殺を任務とする者達」を指す便宜上の呼称としては大変便利な用語である。

天心流の伝承によると、士林団は時代と共に役目が縮小され、8代将軍・徳川吉宗の頃に完全解体された。

これは、吉宗の代に大目付の職掌が大きく縮小され、「諸大名の監察」というそれまでの役割から伝令と儀礼のみを担当する名誉職のようなものに変わり、新たな諜報・監察機関として御庭番が設けられたという歴史学的通説と一致している。

さらに天心流の伝承によると、士林団の解体後、その構成員達は御家人となったとされている。

士林団解体後の逸話
https://twitter.com/tenshinryu/status/579781550247583744
https://twitter.com/tenshinryu/status/579264871700664320
https://tenshinryu.net/?p=273

御家人とは、知行が1万石未満の徳川将軍家の直参家臣団の内、御目見未満(将軍が直接会わない)の家格に位置付けられた者である。

御家人の先祖達は江戸幕府において様々な職務に従事していたとみられ、中には「江戸幕府(徳川幕府)における大目付配下の家臣団の内、諜報・伝令・暗殺を任務とする者」を先祖に持つ御家人も存在したであろう。

この「江戸幕府(徳川幕府)における大目付配下の家臣団の内、諜報・伝令・暗殺を任務とする者達」の子孫こそが、天心流の伝承における「士林団の子孫」である。

通説によると、彰義隊は最盛期には約3000~4000人の規模にまで膨らみ、上野戦争やその後の敗走によって戦死した者達の数や詳細も諸説あり、不明な点が多い。

しかし、彰義隊には様々な出自の御家人達が加入していたとみられ、天心流の伝承通り「士林団の子孫」もその一部だったであろう。

故に、史料が残っていないとはいえ、士林団とその子孫達の存在を否定するのは早計であり、現代において天心流が彰義隊子孫の会からその伝承を公認されている事実も踏まえると、今後の研究はより慎重にならざるを得ないだろう。

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